※『早稲田短歌』46号初出評論を元に、一部加筆・修正した
A
それで女の歌人には、女は女でやっとけみたいなところがあるじゃないですか。一方、正史としての短歌史はこう続いています、となる。やっぱり男の人は基本的にそういう流れのなかに女の人を入れないんですよ。サブで入れたりはするんだけど、あくまでサブ。いま「何言ってるんだ、自分はちがう」と思った男の人は短歌に関しての自分が書いた文章なりツイッターなり心のなかの考えなりのなかで男女の名前の比率なんなりを一回きちんとカウントしてみてよ*1
瀬戸夏子のこの発言を読んで、痛いところを突かれたと思ったことをまずは正直に告白しておかなくてはいけない。短歌の世界におけるジェンダーについての、瀬戸曰く「ちょっとひどすぎる」現状には私も苛立ちを覚えているのだけれど、自分もまたいかにも「男の人」的な失敗をしてしまっていたようだ。
「正史としての短歌史」から女性が排除されている、ということについて考えるとき、まず私の頭に浮かぶのは前衛短歌のことだ。正確に言えば、前衛短歌
葛原妙子・山中智恵子・森岡貞香・中城ふみ子・馬場あき子などといった、戦後に活躍した女性歌人たちは、一人の歌人としてはそれぞれに高い評価を受けているように思える。少なくとも近代短歌における女性歌人のほとんどが、もはや「近代の女性歌人」そのものについて語ろうとする際にしか語られなくなっていることと比べれば、大きな差があると言ってよいだろう。
しかしそれでも「前衛短歌の三雄」は塚本邦雄・岡井隆・寺山修司だ(「雄」なのだからしょうがない? いやいや……)。個々の作者や作品に対する評価と、その歴史上における、言うならば存在意義に対する評価は一致していない。
彼女たちのそれぞれを、なぜ「前衛短歌」に含めるべきではないかについての論は存在するし、そのなかには作家論として納得できるものもある。「前衛短歌」の時代に活躍しながら、なかなかそこに含められない作者は男性にもいる。それでも、前衛短歌のせいぜい
ここでいう方法意識とは新しいパラダイムを作りだそうとする意識であり、歴史、具体的には先行する作品や歌論に対する関心を前提とするものだ。方法意識を持ち、歴史を進展させるのはあくまで男性であるという思い込みが、女性歌人を同時代の男性歌人のバリエーションという扱いにとどめている。「女流」という言葉を文字通りにとらえれば、そこに表れているのは主
しかし八〇年代に入り、ようやくそういった状況が打破されるときが来たかのように思われる。俵万智は「正史」において、口語短歌の第一人者として扱われているのだから。短歌史において何らかの第一人者とされていると言えそうな女性歌人は、ほかには与謝野晶子くらいのものだろう。その晶子にしても、先行する理論家としての与謝野鉄幹の存在を背後にちらつかされることで、はじめてその扱いを許されているようにも思える。
しかし本当に、短歌史が長い呪縛から完全に解放されたと言ってよいのだろうか?
短歌の口語化を推し進めた世代は、大きくライトヴァースとニューウェーヴの二つに分けて呼ばれている。『岩波現代短歌辞典』ではライトヴァースの歌人の例として、中山明、仙波龍英、林あまり、俵万智、加藤治郎の五人が挙げられている。一方、同辞典によれば「ニューウェーヴ三羽烏」は加藤治郎、荻原裕幸、西田政史である。西田が作歌を中断したのち、その位置は穂村弘が占めただろう。
早くに作歌を中断した(それゆえに歌壇におけるエコールや権力関係からは遠くなった)中山と仙波を除いた三人のライトヴァースの代表的歌人のうち、男性である加藤のみがライトヴァースからニューウェーヴに編入されている。ニューウェーヴを代表する歌人とされるのが全員男性である一方で、ライトヴァースには俵と林という女性だけが取り残されたことになる。
俵と与謝野晶子の評価のされかたには多くの共通点がある。林あまり/山川登美子という女性がライバルとして対置されることもそうだけれど、作品が持つ「あたらしさ」がもっぱら新たに訪れた
現代においてライトヴァースとニューウェーヴをあえて区別して語ることとは、すなわち「方法意識を持たず、時代に対応して自然に口語で作歌していた女性歌人」「明確な方法意識に基づいて口語短歌を理論化した男性歌人」という構図を作りだし、俵や林を
俵が方法意識をもたずに、ただ時代に対応しただけで革新的な作品を作り上げた、とは私には思えない。ライトヴァース・ニューウェーヴと八〇年代、バブル期という時代の雰囲気の関係は、その当事者たちをはじめとする多くの人が強調しているけれど、ことを口語化という現象に限るとある疑問を抱く。散文においては、言文一致はずっと以前にすでに定着していたではないか。時代の雰囲気説は、口語短歌がこの時期に
俵に歴史への意識が存在したことは、たとえば佐佐木幸綱の指導のもとで作歌をはじめたことや、あるいは村木道彦を愛読していたといったしばしば語られるエピソードによって裏付けられるはずだ。しかしそれにしても――佐佐木幸綱も村木道彦も、ああ、またしても「男」だし、エピソードはむしろ、「あの俵万智に影響を与えた」というように、佐佐木や村木の偉大さを称揚するためにばかり紹介されているように思える。
なんだか言い訳めいてしまうけれど、すでに書かれて、語られてそこにある「正史」が、思考を規定し、抑圧する力はとても強い。あるひと(その性がどのようなありようであったとしても)が短歌史について書くとき、女性の作者が含まれていない、あるいはサブ的なものにとどまっているとしたら、その理由は個人のセクシズムによる場合もあるだろうけれど、むしろ既存の「正史」に書かれていなかったために、それ以前の/以後の、あるいは同時代の作者とどのように関係しているかという線をうまく引けないためという場合も多いのではないのだろうか。
もちろん無自覚であったとしても差別的であることには変わりがなく、歴史について書くにもかかわらずその程度の批判意識が欠如しているのは問題だ、という批判はもっともだし、そもそも男性中心に書かれた「正史」の枠組み自体を問い直さずに、女性を書き加え、「前衛短歌」や「ニューウェーヴ」である、男性の歌人と同等の存在であるなどと認定しても根本的な解決にはならない、というのも極めて真っ当な意見だ。しかしそれでも、とりあえず「正史」を女性歌人のしっかりと書かれたものにしておくことは、差別の再生産と呼ぶべきサイクルを止めるために、まずは行うべきことだと思う。
B
ところで俵には歴史への意識が存在し、その作品の「新しさ」は方法意識のもとに実現されたものだったはずだ……というようなことを書くと、それに続けて
二〇〇〇年代の前半に穂村弘が提出し、半ばジャーゴンと化した「棒立ちのポエジー」「修辞の武装解除」という批評用語に該当するとされた作品、またその作者への毀誉褒貶は激しくとも、当時新設された(そしてどれも限られた回数で終わった)いくつかの新人賞をはじめとする方法でとにもかくにもデビューした新人たちは、一つのムーブメントを作ったはずだ。
しかしそれらの賞のことごとくで選考委員を務め、新人たちを送り出した穂村自身が『短歌という爆弾』の文庫版に増補されたインタビュー*4において、「八〇年代の口語」の次のパラダイムシフトを達成しうる歌人として名を挙げるのは、「鬱屈とした時代感情を持つ男性作家」と呼ぶ斉藤斎藤と永井祐だ*5。この主張には斉藤・永井の登場まではニューウェーヴ世代が作ったパラダイムの支配が続いている、という前提が必要であり、すなわちおおむねその間に登場した「棒立ちのポエジー」の作者たちはパラダイムを更新していない、という認識がここに表れている。
あれほど注目していたはずの、しかも少なくとも個々の作品や作者のレベルでは間違いなく肯定的に評価していた「棒立ちのポエジー」の作者たちを穂村が無視した理由は、同じインタビューにおいて、ニューウェーヴ世代とその後の世代の歌人との差として「短歌というジャンルにおける『革命』のイメージ」の有無を指摘したことに表れている*6。革命、つまりパラダイムの更新は、それを行おうという意図を持つものによってのみ達成される、と穂村は考えている。
「棒立ちのポエジー」がパラダイムを更新していない、という認識が穂村だけのものではないことは「ポスト・ニューウェーヴ」という言葉が未だ歴史上のものとなっていない、つまり斉藤・永井や、あるいは更に若い世代の作品を指すために用いられていることからも端的に分かる。加藤治郎はニューウェーヴ世代が短歌史上のエポックである理由は、それが「近代短歌の残された最後のテーマ」である口語化と大衆化を達成したことで、短歌史が「革新という近代の原理から自由になった*7」からだとしているけれど、既存のパラダイムを更新し、短歌を革新していく歴史は既に終わっているという認識に立つ限り、その後にありうる短歌はその都度の時代に対応して修正が加えられた
例に挙げられた作者の大半が女性だった「棒立ちのポエジー」の歌人たちにはパラダイムを更新しようという意識がなかった、というのは偏見ではないか、と思う。例外の一人だった永井祐が、のちに少なくとも穂村の認識において「棒立ちのポエジー」から外れ、その下のより歴史に対して意識的であるとされるグループに編入されたことからは、ライトヴァースとニューウェーヴの関係における加藤の事例を想起させられる。先行した女性歌人たちには方法意識がなく、後続の男性歌人によってはじめて理論化が行われた、というような史観も共通しているのではないか。
しかしもっと根本的な問いは、この節の冒頭で述べたとおり、そもそも「パラダイムの更新は、それを行おうという意図を持つものによってのみ達成される」という前提が正しいのだろうか、ということだ。
穂村が「棒立ちの歌」「修辞の武装解除」という語をもって示したものは、