良い旅を

清水浩史『深夜航路』

深夜航路: 午前0時からはじまる船旅

深夜航路: 午前0時からはじまる船旅


 昨年あたりから船旅にはまっている。船の良いところは何よりもその居住性だ。バスや飛行機であれば、走行/飛行中の移動は完全に、とはならないまでも極端に制限される。鉄道では進行方向に対して前後には一応自由に行動可能だ。しかし船ならば、進行方向に対して前後はもちろん、左右方向にもかなりの距離を移動できるし、多くの船では上下の階層移動も可能だ。船内で調理をするレストランや大浴場、ゲームコーナーやカラオケのような娯楽施設や、自由に読める本棚があったりもする(釜山から下関への船内で、『機動警察パトレイバー』の漫画版を半分くらい読んだ)。私の乗った船ではコインランドリーが地上よりも安かった。月並みな表現だけれど、まるでホテルのようだ。チェックインしたばかりのホテルを探検したくなるように、船に乗り込むとまずは立ち入り可能な場所をすべて巡ってしまう。とはいえ仮にそういった施設がなかったとしても、充分に楽しめる。このホテルは動くのだから。デッキから単に海をぼんやりと見ているだけでも楽しい。夜には星がとてもよく見える。
 夜行の交通機関として比較すれば、たとえ最安であるカーペットの雑魚寝席ですら、体を完全に横にできるという点で、寝台列車を除くあらゆる夜行交通機関よりも疲労が少ないと思う。就寝するとき以外は船のどこにいてもよいのだし。定期の寝台列車がほぼ絶滅してしまったこの国では、夜行の定期的な交通手段はほぼバスしかないと思い込んでいた。けれども調べてみると、船の夜行便というのは現在でも意外なほど多くの航路が存在している。特に関西発着のものは多く、関西圏ー九州間の夜行バスが撤退した背景には、夜行フェリーの台頭も理由にあるというから驚く。一方、その地域性にはかなりの偏りがあり、南関東を発着する定期航路は、伊豆諸島・小笠原諸島に向かうものに限られているから、私に馴染みがなかったのも納得の行く話ではある。2021年の春に横須賀から北九州への航路が開設予定とのことで、今から楽しみにしている。

 この本はそんな船旅のうち、特に午前0時から3時までに出航する14の定期航路を扱った紀行文集だ。著者の他の本には、項目あたりのページ数が少なすぎて内容が薄く感じられるものもあったが、この本ではそのようなこともなく楽しめた。
 敦賀港から苫小牧東港まで20時間に及ぶ長大な航路から*1、わずか15分の鹿児島港―桜島港までさまざまな船旅。いま私が行きたい場所ナンバーワンであるトカラ列島への航路もある(この本では下船していないけれど)。
 フェリーはたいていトラックの輸送をあてにしているから、徒歩客の乗船は多くない。人が少ない船内でを探索したり思索したり、まどろんだり。船を降りた先の旅も面白い。更に小さな離島航路に乗ったり、廃集落を訪ねたり。

 深夜航路に限らず夜行列車の旅も愉しいが、近年夜行列車はほぼ全滅してしまった。(中略)その代わりに豪華寝台列車(クルーズトレイン)が登場して人気を博している。もちろん豪華寝台列車にも乗ってみたいが、残念ながら2ケタもする運賃を支払う余裕はない。しかも、思い立った時に乗りたいので、先々の予約なんてできない。もっというと、学生時代の貧乏旅行が沁みついているのか、料金が手ごろでないと旅は愉しくない。
 単純に考えると、「お金がもったいない」ということになる。
 でも、そうではないと思う。どうも高額の対価として、ホスピタリティや豪華さをまるまる受け取るということに違和感を覚えてしまう。もちろん、端から事業者は(豪華寝台列車の場合は)富裕層をターゲットにしている。自分自身はターゲットではない。しかし高価な旅は、パッケージされたものを享受するかのようで、そこには手間隙かけて自分流に工夫、アレンジして旅を創造していくという悦びがちょっぴり薄いように思えてしまう。
 そう考えると、深夜航路は素晴らしい。
 お財布に優しいし、広々とした快適な空間を提供してくれる。過度なホスピタリティもなく、乗客を自由に放っておいてくれる。そして、流れる夜の景色とともに、思索する時間、想像する時間をたっぷり与えてくれる。

 引用が長くなってしまったけれど、まさに、と思う。加えていえば、定期航路であることにも魅力があるだろう。土地の記憶、という言葉をよりによって船という交通機関に使うのも奇妙かもしれないけれど、いつも同じ道のりを旅しているうちに染みつくものもあるはずだ。


 とはいえ大局的に見れば、旅客航路を取り巻く状況が厳しいことは間違いないだろう。本書の取材は2017年に行われているが、この中で「孤愁ナンバー1」と評されており、著者の乗車時に他の乗客がいなかったという宿毛フェリーはすでに運航を休止している。所謂RO-RO船、一般旅客が乗れない船に転換してしまう航路も最近は多い。早めに乗っておかなきゃな、と思う。お金がないけれど。


 余談。著者は編集者だそうだけれど、仕事の都合でタイトな旅程となっているものが多い。中でも上述の敦賀港―苫小牧東港航路の、東京の職場から敦賀に直行して乗船し、20時間以上かけてやっと着いた北海道からすぐに飛行機(「深夜飛行」)でとんぼ返りという顛末には勝手に同情してしまった。暇にまかせた旅行ばかりしてきた自分には想像しづらい話だ。就職したくないなあ、でも就職しないと金がない……。

*1:この航路を逆方向に、苫小牧東港から新潟まで昨年乗船した。ちなみに苫小牧東港苫小牧市にはなく、かなりの僻地にある。日高本線胆振東部地震の影響で代行バスだったが)の最寄り駅から原野を徒歩20分とのことで歩こうと思ったが、羆が出るという情報に怖気づいてやめた