良い旅を

杉山祐之『覇王と革命 中国軍閥史一九一五―二八』

覇王と革命:中国軍閥史一九一五‐二八

覇王と革命:中国軍閥史一九一五‐二八

 茂宸、何をやっているんだ。あなたは私の先生だ。私より年長だ。私は何もかもあなたに教わった。私はあなたの後輩だ。しかし、忘れたのか。今は事情が違う。私はあなたの上官であり、あなたは私の部下だ。今ここにはわれわれ二人しかいない。私はあなたに会うために来た。何も持っていない。だが、あなたの手には銃がある。あなたがこんなことをやりたかったら、軍を連れて行こうというなら、まず私を撃ち殺さなくてはならない。もし私を殺したくないなら、私はあなたの上官だ。あなたは動けない。私はあなたに命令することになる。あなたには二つの選択肢がある。私を殺すか、私の命令を聞くかだ。自分で選んでほしい。
 郭松齢は泣いた。こんなことを言ったようだ、私は恥ずかしい。私は山海関を突破できなかった。今は人にくっついて、人の手伝いをしている。つらい。あなたの顔にも泥を塗った。
 私は言った。そんなことを言わないで欲しい。私のどの顔をつぶしたというのだ。
 郭松齢はただ死を求めるのみと言う。私は、そんなことを言うなと言った。
 彼は泣く。なぜそんなに涙を流すのだ。
 もう人の手伝いなどしたくない。死を求めるのみだ。自分で死にたい。私は言った。ではいいだろう。もう死を決意しているというなら、それはいい。あなたは私の顔をつぶした、山海関を突破できなかった、もはや死を決意しているという。それなら戦場に行って死ぬことだ。そこで全力で戦えば、私の顔を立てるということにならないか。あなたもよい死を得るのではないか。死ぬのなら、戦場で死んだらどうだろう。
 彼はうなずいて、ハオ! と言った。

 中国の軍閥時代についての本。副題にある1915-28は、著者の説明を引けば「国家の統合が壊れた袁世凱統治期の末から、蒋介石が全中国を統一するまでの軍閥混戦の時代」であり、また「日本が中国に二十一か条の要求を突きつけた」年から奉天張作霖が爆殺された」年まででもある。学校の世界史に代表される日本で一般に紹介されている歴史では、この期間の中国は国共合作に北伐、そして上海クーデターといった、その後の国民党と共産党のための前史、というような扱いで、軍閥関係者で知られているのは袁世凱張作霖のほかはせいぜい段祺瑞、という程度だと思う*1。しかし本書を読む限り、同時代の政治・軍事に対して直接的な影響力を持っていたのは明らかに軍閥のほうであり、しかも相当に激動の時代だ。国民党が広東、広西を統一し大軍閥と戦える力を持つのはようやく1926年になってからであり、その間には軍閥間の大きな戦いが何度も起こっている。また「革命の父」こと孫文共産党にはかなり辛辣だし(孫文に対してはエクスキューズはあるが)、ボロクソに言われているイメージしかなかった陳炯明には好意的な記述が多い。
 そういった歴史が日本で知られていないのは、中国から輸出された革命史観に基づいているから、という著者の意見はもちろん正しいだろう。一方で、激動の時代だからそれが教科書的な概説史で重視されるかというと、中国だけを例としても三国時代五胡十六国五代十国……とむしろ真逆だ。通史的な歴史記述はもっぱら進歩史観を内包しており、激動の時代はそれゆえに社会制度の整備がない=前時代と変化が少ない、進歩がないとして軽視される、という面もある気がする。
 
 参照元の中国語文献はタイトルを見る限り人物伝・評伝に類するものが多そうで、実際にこの本もそういった有力者の行動を中心にした歴史記述となっている。属人的な、いわゆる英雄史観の類は、現代では冷たく見られがちだけれど、しかし読みものとして抜群に面白かった。二段組みで本文だけでも380頁近い大部だが、まったく飽きることなく一気に読めた。   
 豊富なエピソードを通じて、登場する軍人たちの人物像が魅力的に描かれている、将としての器や、部下としての見込んだ相手への忠誠心、勢力間や列強(もっぱら日本)との外交能力に、中国らしく諸葛亮にも喩えられる戦場での知謀、あるいは脱出する敗者を見逃したり、政敵への暗殺を忌避(例外はいる)したりといった彼らなりの倫理感(いわゆる「侠気」なのだろうか)……。学術論文的形式ではないながらも注は細かく付されているとはいえ、特に人物についての記述は元文献がどこまで信憑性のあるものなのかやや怪しい気もするが*2
 特に袁世凱と徐世昌、段祺瑞と徐樹錚、曹錕と呉佩孚、張学良と郭松齢あたりのエピソードには、利害関係だけではない絆*3が感じられるし、著者も力を入れて書いているように思われる。冒頭で引いたのは、張作霖の長男である張学良と、彼の士官学校時代の師であり、最も信頼された部下だった郭松齢の、おそらく軍閥間での最大の戦いである第二次直隷・奉天戦争中の会話。のちに郭が張作霖に反旗を翻し、敗れて処刑される際、郭が遺書を宛てたのは学良に対してであり、学良は(明らかに無理なのに)郭をなんとか助命しようとしていたという。この部分は晩年の張学良による口述の引用であり、つまりブログに引くのは孫引きにあたり、本来よろしくないのだけれど、しかしこの場面を本書中もっとも印象的なものと感じる人は多いのではないだろうか。これこそ本当に二人しかいない場面だろうし(副官/護衛なんかがいたら茶番にすぎる)、張学良の言うことが歴史的事実である根拠なんて一切ないけれど、89歳の張学良が語ることを欲望したのがこの話である、と考えるとそれ自体エモーショナルに思える。
 とはいえ個人的な嗜好としては、大多数の権力を持たない人間たち個々についてはその生死さえ顧慮しない立場にある人間同士の個人的な関係について萌える気にはあまりならない。彼らを人格的にどう評価するかというよりも、権力者たりえない私のポジショントークだが。


 著者のブログも面白い。電子版では改訂が入っているそうなので、今から読む人はそちらのほうが良いかもしれない(「張作霖の盟友」呉俊陞という記述に、他の箇所を見る限りそこまでの関係なのか……? と思っていたが、電子版では削除されたらしい)。

*1:予備校時代の教材を引っ張りだしてきたところ、講師オリジナルのテキストには3人に加え馮国璋・曹錕・呉佩孚の名前が記されていた。ほとんど世界史と国語で大学に入ったようなものの私だがさっぱり記憶にない

*2:ごく限られた人間しかいないはずの場での様子が書かれすぎていて(「誰々は声をあげて泣いた」みたいな)、事実なら情報管理が甘すぎるだろう、と思う

*3:という表現は嫌いで、それはまさにこういうことに使われがちだからなのだが