良い旅を

手を広げ人を迎えた思い出のグラドゥス・アド・パルナッスム博士(服部真里子)

手を広げ人を迎えた思い出のグラドゥス・アド・パルナッスム博士
服部真里子『行け広野へと』(2014 本阿弥書店) 

 グラドゥス・アド・パルナッスム博士ってどんなひとだろう。調べてみたけれどもそういう名前の人間がいたわけではなく、ピアノ曲のタイトルだそうだ(私も聞き覚えがある曲だった)。「退屈な練習に閉口する子供の心理を表現した曲」だというから、そのあたりが「思い出」とかかっているのかもしれない。
 けれども「博士」と言われたら、やっぱり博士のことを考えたくなる。どんなひとだろう。「思い出」「博士」と言われると、老人の気がしてくる。グラドゥスという響きは、なんだか男性名っぽい。おじいさんの博士の姿が浮かんでくる。服部さんと博士といえば、「少しずつ角度違えて立っている三博士もう春が来ている」(『行け広野へと』)もいい歌だ。こちらの歌の博士たちはみんなぴしっと立っていて、たぶん宗教画の中にいたり彫刻でいたりしてなんだか神聖な感じがする。
 掲出歌の博士はどうやら生身の人間らしい。手を広げるとひとは大きく見えるし、思い出の中だから輪郭がぼやけてより大きく見えている。思い出の中の子どものころの小さなわたしと、大きなおじいさん。わたしがうれしくて手を広げて博士を迎えたのか、博士が手を広げてわたしを迎えてくれたのか。いずれにせよ、きっとやさしい博士だ。