良い旅を

木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義』

 

 

 面白かった。書籍のタイトルに掲げられているのは「新反動主義」だけれど、最終章のタイトルである「加速主義」のほうが読みどころだし、語としても意味を想像しやすくキャッチ―だと思う。(新反動主義者/右派加速主義者が敵視するような)「リベラル民主主義的な〈カテドラル〉のイデオロギー」の信奉者に対しては「反動」という単語が挑発的、刺激的だから、という判断からだろうか。そうだとしてもその層がどれほどこの手の本を買うかは疑わしい気がするけれど。

 

 1章・2章の新反動主義のあたりはどちらかというと現代の政治をどうにかしよう、あるいはどうにかするよりそこから脱出しようという話で、しかしその割に実現性が乏しく感じられて(トランプだって新反動主義的政策はとってないじゃん)、勉強にはなるけれどそんなに面白くはない。一部アメリカ人は本当に無条件に自由が好きだなあ、という雑な印象。大きな政府福祉国家が自由を制限するから駄目と言われても、私は超人になってまでサヴァイブしたくないし、国家をうまいこと利用してだらだらやっていきたいと思ってしまう。新反動主義者にはそういうやつを生むから福祉国家は駄目なんだ、と言われそうだが。
 3章は加速主義に至るまでのニック・ランドとその周辺の紹介。ランドやその周りの人間がめちゃくちゃなことをやりまくっているのが単純に面白い。

睡眠を取らず、使い古したアムストラッド社製のパソコンのモニターを一日中凝視しながら、奇怪な数字の配列やシンボルをを延々といじくりまわしていた。この時期のランドの実験にはたとえば、QWERTYキーボードとカバラ数秘学を組み合わせるというものがあった。人間的な理性を超越した非-意味に基づくアンチ・システムだけが〈未知〉=〈外部〉への扉であるという確信。

とか、よく即刻大学クビにならなかったな。
 あまり本筋というわけではないけれど、ランドが初期に戦闘的フェミニズム(筆者も指摘しているように具体性を欠いているが、「我々は自身の只中に新たなアマゾーンを育てなければならない」という文から大まかなニュアンスは推測できそう)に可能性を見出していた点や、サイバー・フェミニズムと接続していた点は興味深い。とはいえ後にその主題が後景に退いていったという記述を見ると、結局(乱暴に言えば)「現状を破壊してくれる道具」として期待していただけでは? という気もしてしまう。
  章末で少しだけ言及されている中華未来主義も興味深い。サイバーパンクを現実に投影したうえで、それを本気でユートピア(厳密にはそこへの回路だろうが)として見る態度。これは日本からは出てこないだろうなあ、と思う。単純な嫌中感情の問題だけではなく、そもそも日本もまた「〈カテドラル〉のイデオロギー」が欧米ほど根付いていないという意味で。

 

 4章、問題の加速主語の話は、個人的には未来派にもロシア宇宙主義にも多少馴染みがあることもあってか*1、また極限状況において決定的な変革が起こる(し、そうでなければ起こりえない)という発想もマルクスにしろ外山恒一にしろ当然のものだし、それほど突飛にもダークな思想とも感じられなかった。とはいえシンギュラリティ状況における変革のビジョンは、負荷に耐えられなくなった人々のエネルギーが起こす/後押しするというものではないから、安易に『共産党宣言』を援用するのはどうなのかと思う。それよりは未来派における戦争に近いのだろうけど、第一次世界大戦未来派の期待したような変革を果たして起こしたのか、あるいはシンギュラリティが到来するとして、それは世界大戦/総力戦ほどの衝迫力を人々に大して持つのか*2、などと考えると怪しげ。
 いちばん万人向け? だと思ったのは資本主義リアリズムの話。「哲学者スラヴォイ・ジジェクのものとされる『資本主義の終わりより、世界の終わりを想像するほうがたやすい』というフレーズ」は私の乏しいジジェク知識でもいかにも言いそうだと思うが、まあこの書き方からして出典が怪しいのだろう。ともかく言われていること自体は非常に納得できる。「大きな物語の終焉」などというのはもはや手垢がつきすぎた表現だけど、少なくとも西側諸国において崩壊したのは「資本主義という現実に対抗するビジョンとしての大きな物語」であって、資本主義(ついでに民主主義も)という物語はまるで終焉なんてしていない。「資本主義が人々に幸福をもたらす」ということがもはや信じられなくなったとしても、それは資本主義という物語が「絶望の物語」に変わっただけで、崩壊したわけではない。共産主義ユートピアを提示するものとして受け止められていたから、人々に幸福をもたらすと信じられなくなった時点で崩壊せざるを得ない。しかし資本主義はむしろそのユートピアに対してシニカルな、「現実的」な立場に支えられている*3のだから、たとえそれが幸福をもたらすことがないとしても「現実は難しい」「文句があるなら代案を出せ」で片付けられてしまう。「資本主義の問題は、それが機能不全でありながらも現実に機能してしまう点にこそある」というのは、まさに、といったところ。資本主義リアリズムについては本書で言及されているマーク・フィッシャーの書籍が邦訳されている(上の怪しいジジェクの引用もフィッシャーのものだという)のでいずれ読んでみたい。

 

資本主義リアリズム

資本主義リアリズム

  • 作者: マークフィッシャー,セバスチャンブロイ,河南瑠莉
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 加速主義という新たなユートピア思想が「大学院生の病」であるという指摘は最近まで院生の端くれだったものとして正直笑ってしまうが、「加速主義は鬱病に効く」と言われると切実にも感じる。同じ加速主義でも前者は右派、後者は左派についての言葉だけれど、まあ大学院生がメンタルをやられやすい立場であるのはたぶん事実だ。
 個人的にはトランスヒューマン/シンギュラリティよりは宇宙進出に希望を見出したい。マインド・アップローディングしたところでそのコンピュータを地球にしか置けないのなら地球が吹っ飛んだらおしまいじゃん? どうせトランスヒューマンするなら宇宙(移住先)に適応しようよ。「広がって、地に満ちよ」(Key『rewrite』)。

 

 終盤のヴェイパーウェイヴをはじめとする音楽の話はこれだけでもう一章欲しいくらい。ちょうど最近訳あってヴェイパーウェイヴをちょっと聴いていたのだけれど、参考にしたものの一つが同じ筆者のこの記事だった。本書の記述ともかなり共通している。それがそのまま右派加速主義者/オルタナ右翼と重なるかはともかく(ヴェイパーウェイヴの主流はランドよりもむしろ、上述のマーク・フィッシャーの左派加速主義のビジョンに重なると筆者は指摘している)、いわゆる「レトロな」、過去においてありふれていた音楽、文化に惹かれる欲望の裏に、未来への絶望があるというのは綺麗すぎるほどに筋が通った理屈だ。日本のシティポップが海外で流行っているという「日本スゴイ」的文脈に回収されている現象も、以下のような理由があると考えるとかなり皮肉だ。

もはや、アメリカの若い世代は自分たちの過去の記憶に純粋なノスタルジアを感じることができなくなっている。その代わり、日本という他者――自分たちが経験したものではない時代と場所の記憶に、ある種の新鮮で穢れていないノスタルジアを求めているのだという。シティポップの全盛期である80年代といえば、日本はバブル景気に湧き、アメリカには安価な日本製品が大量に流入してくるなど、日本のプレゼンスが否応にも高まっていた時期に当たる。

スゴイのは過去の、それこそアメリカすら圧迫するレベルで資本主義が人々に幸福をもたらすと信じることができていた日本であり、今の日本ではない。「中華未来主義」だって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が取って代わられたものとも言えるし。
 私はいわゆるミレニアル世代に属していて、シティポップ(的なもの)はわりと好きだけれど、その時代に郷愁を抱いているつもりはない。男女雇用機会均等法もなかった時代が今よりマシとは思えないし。とはいえ未来に希望を抱いているかと問われれば答えに窮する(いや答え自体はほとんど決まっているけれど、だからこそ窮するのだ)し、本書のラストで引用されているティールの発言には思わずうなずいてしまう。

「たとえトランプに懐古趣味や過去へ戻ろうとする側面があったとしても多くの人々は未来的だった過去へ戻りたいと思っているのではないでしょうか。『宇宙家族ジェットソン』、『スター・トレック』、それらは確かに古い。だけどそこには未来がありました」。

スター・トレック』はティプトリー・Jr.「ビームしておくれ、ふるさとへ」でしか知らないけれど。

 

 

 私がどうしてもアンチ星海社なことを差し引いても*4、デザインは正直ダサいと思う。本当は参考文献以降のような黒地に白抜き文字に全篇したかったのを妥協したのかなと邪推。

*1:カントやベルクソンに??? となっていたのに、マリネッティやフョードロフやソロヴィヨフで「あ!これ進研ゼミでやったやつだ!」となるのも我ながらどうかと思うが

*2:衝撃を与える人間の数、あるいは全人類のうちの割合は当然WWⅠをはるかに上回るだろうけれど、反面WWⅠほど突然起きたものとしては感じられないのではないか

*3:もちろん理念としての自由を信奉している人もいるだろうけど、「共産主義は結局みんなが貧しくなるだけ」という見方から消極的に資本主義を支えている力はとても強いと思う

*4:牧村朝子『百合のリアル』や原田実『江戸しぐさの正体』のような良書も出しているとはいえ、倫理的に許しがたい本や看板に偽りありの本や編集やる気あんのかという本の印象が悪すぎる。大塚英志『日本がバカだから戦争に負けた』とか、期待してたのに……。