自選10首(~2017)
(展開によっては奪う)はつなつの花野にきみが濡れそぼち立つ
朗読をかさねやがては天国の話し言葉に到るのだろう
おそなつが非在のきみを在らしめて晴れるって言ってくれたのみどの
坂沿いののぼりに一つずつふれる 祭りのあとの寺へとすすむ
落ち合えばそこが
そこで打つ手なら電車で決めてきてだれに絆されても変わらない
関係を名づければもうぼくたちの手からこぼれてゆく鳳仙花
香港の十分おきに雨が降る映画のなかの雨の香港
1.「失うまえに」『早稲田短歌』43号
2.「往信」『羽根と根』創刊号
3.「走る」『羽根と根』 2号
4-5.「湖辺で」『羽根と根』3号
6.「橋と水/ペテルブルク」『羽根と根』4号
7.「到達」『羽根と根』5号
8.「パーリデイ」『一月一日』vol.4
9.「探偵と天使」『羽根と根』6号
10.「早春賦」『tanqua franca』
歌集『往信』 学生サークル・部等への寄贈募集
先日刊行した第一歌集『往信』を、ご希望される以下の団体にお贈りします。
対象:主な活動に短歌が含まれる以下の団体
- 大学・短大等、高等教育機関のサークル
- 中学・高校等、中等教育機関の部・同好会
- その他、学生・生徒が主な構成員の団体(特定の教育機関に帰属するものでなくともかまいません)
- 以下の例のように、活動内容が短歌に限定されていない団体も対象とします
- 詩歌会
- 短歌セクションのある文芸サークル
- 短歌の合評・機関誌への掲載や、コンクール・大会等への参加をしている文芸部
下記の注意点をお読みの上、以下のフォームからご応募ください。 docs.google.com
- 1団体につき1冊を謹呈します
- 送料はこちらで負担します
- 教育機関の公認・非公認は問いません
- 部室等がない場合、任意の会員個人に所持・管理いただいてもかまいません
- 他の会員で読みたいという方がいれば、貸してあげてください
- 団体の実在や活動実態を確認させていただく場合があります
- まだ立ち上げたばかりで、今後本格的に活動していくつもりである、といった場合でもかまいません
- 私の判断で、予告なく募集を停止させていただく場合があります。あらかじめご了承ください
応募の締切は4/25(金)5/10(土)とします。当面受け付けます。
たくさんのご応募をお待ちしております。
(あたしはあたしの手札すべてを墓地に送り召喚されたモンスターだよ)/山中千瀬 #死なない猫を継ぐ
(あたしはあたしの手札すべてを墓地に送り召喚されたモンスターだよ)
/山中千瀬「グッドラック」『死なない猫を継ぐ』(典々堂、2025年)
tentendobook.base.shop
カードゲームの話だと思う。手札をすべて墓地に送ることで召喚されるモンスター。リスキーではあるが、その分強力な能力を持つ、派手な切り札なのだろう。物語であれば、主人公が使うそのモンスターの登場が一つのクライマックスになるような。
しかし実際のカードゲームで、そういったカードが本当の意味で強い、言い換えれば勝利のために効率的なことはあまりないと思われる。多くのカードゲームにおいて、手札とは行動の継続力や選択肢の数に直結する重要なリソースだ。それをすべて手放してしまうようなカードは、往々にしてコストにリターンが見合わない*1。仮にそのモンスター自体は召喚できれば圧倒的に強力だとしても問題はなくならない。もっとローリスクで、現実的にゲームに勝利できる程度の強さを持つ代替案がある場合がほとんどだ。一体のモンスターに命運を託すのは、あまり合理的なプランではない。手札がなければ、他のモンスターを召喚することも、召喚した「あたし」を守るためのカードを使うこともできない。
そう、召喚されたモンスターは「あたし」だ。「あたし」はひとまず召喚された。でも、相手が「あたし」を害するようなカードを使ってきても、対応できるかは心許ない。後続のモンスターも、もう来ないかもしれない。手札がないのだから。
そんなことは分かってる。だって召喚したのも「あたし」だから。「あたし」は、プレイヤーという特権的な立場すら手放してフィールドに降り立った。
モンスターはプレイヤーよりずっと危険に晒されている。敵のモンスターにまず攻撃されるのはたいていモンスターだし、プレイヤーを直接的に倒すカードはそうそうない*2けれど、モンスターを一撃で墓地へと葬るカードはいくらでもある。一首全体に括弧が掛かっているのは、モンスターになったがために、人間の言葉で発話ができなくなったからだろうか。
でも、モンスターにならなければ、相手のモンスターと戦えない。その後ろにいるプレイヤーも倒せない。ゲームのルールはそう決められている。たぶん、相手はすでに大量のモンスターを召喚して、こちらを待ち構えている。自分がモンスターにならないといけない、操れるモンスターなんていない「あたし」にとってはとても理不尽なゲームだ。だけど、やってやる。
リスクとリターンなんて関係ない。自分がこのゲームにおいてどの程度強い存在かも、代替案があるか、他の誰かがやってくれるかもどうでもいい。守られなくても、味方が来なくてもかまわない。傷付けられても、墓地に送られるとしても、誰にも声が届かなくても。プレイヤーと違って、モンスターは負けてもそこでゲームが終わるわけじゃない。墓地から復活することもある。
「あたし」は戦う。プレイヤーに、オーディエンスに見下ろされながら。モンスターを操り、自分たちを傷付けてきた相手プレイヤーを倒すため、そしておそらくは、かつて自分が墓地に送った手札のように、いつか、このゲームそのものを終わらせるために。
「グッドラック」は『短歌研究』2023年4月号の特集「短歌の場でのハラスメントを考える」に寄稿された連作で、そのことは『死なない猫を継ぐ』のあとがきでも言及されている。掲出歌はその一首目だ。
連作には、手が印象的に、何度もあらわれる。
流されんためにつないだ手かもだけど渡り終えても触れていいかな
きみのことは知らない何も左手に空っぽの水鉄砲さげて
よろしくじゃないよな それでも手を伸ばし友だちとゆく花道なんだ
手札すべてを墓地に送った「あたし」にも、それでも手を伸ばし、つないでゆける友だちがいることに、すこしほっとした。
cf. 川野芽生「この世の語彙で」『幻象録』(現代短歌社、2024年)
2023年の目標66
目標が達成できないなら目標のほうを増やせばいいじゃない。
読む本
- ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
- トルストイ『戦争と平和』
- フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
- イーガン『ディアスポラ』
- ル=グウィン『闇の左手』
- ラヒリ『その名にちなんで』
- ボラーニョ『アメリカ大陸のナチ文学』
- フローベール『感情教育』
- ミン・ジヒョン『僕の狂ったフェミ彼女』
- チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』
- 北杜夫『楡家の人びと』
- 三島由紀夫『豊饒の海』
- 島崎藤村『夜明け前』
- 飛浩隆『零號琴』
- 同『空の園丁』
- 連載に追い付きたい
- ショーン・フェイ『トランスジェンダー問題』
- バトラー『ジェンダー・トラブル』
- 結城浩『暗号技術入門』
- 『マスタリングTCP/IP 入門編』
- 『世界の美術』/エルミタージュ美術館で買った図録(ロシア語)
- 大きすぎて棚の肥やしになっている。通読とは言わないがちゃんと開きたい
観る映像
やる(ノベル)ゲーム
- 『CROSS†CHANNEL』
- 『最果てのイマ』
- 永遠に積んでいる2本
文筆
- 毎月10首作る
- 毎月1度は何らかの散文(例:一首評)をブログに書く
- 何らかの(新人)賞に出す
資格
2022年の振り返り
ぜんぜん記録を付けていないので間違いなく漏れがある。
本
ケイト・ウィルヘルム『鳥の歌いまは絶え』
今年読んだ本で一冊だけ挙げるならこれ。三部構成で進展していくディストピアのビジョンも秀逸だけれど、ラストの主要登場人物二人の別れのシーンがあまりにも鮮烈だった。
小泉悠『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』/同『現代ロシアの軍事戦略』
東欧現代史の研究をするつもりで大学に入った日は遠い昔に思えるけれど、まったく、本当に嬉しくない理由でかの地域に関する本を多く読む一年になってしまった。中でも小泉氏の本は勉強になった。文章も上手いし。
ロシアの政治・軍事関連書は積んでいるものも多い(正直読んでいてしんどくなることもある)ので、来年も少しずつ崩していくことになるでしょう。願わくは、一刻も早く戦争が終わりますよう。
ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』
読んでいる間の楽しさはSFというよりむしろミステリに感じるそれだったと思う。
だいたいオチの予想が付いてしまったのは、昔「rewrite(key)を読んだ後に読むべきSF小説10選」的な記事(たしかはてなブログだったはずだがググっても見つからない)で挙げられていたから。
岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』
「三月の5日間」(小説のほう)をいまさら読んでとても良いと思ったのだけれど、その感じた良さを具体化するとほとんどロマンチシズムなので、この話にロマンを感じる自分の倫理観や批判精神を疑ってしまう
— さ (@saku_cakey) 2022年5月27日
文体、語りあってのものだとは思う/思いたいが
— さ (@saku_cakey) 2022年5月27日
(いつもこうやって感想を書いておいてほしかった)
映像
カンテミール・パラーゴフ『戦争と女の顔』
『戦争と女の顔』(この邦題を許容するかはともかく……)、たぶんすごい映画だし、ひとにも観て欲しいのだけれど、鑑賞体験として相当にハードなので、「男」である自分がそんな簡単に薦めて良いのか? という思いがある
— さ (@saku_cakey) 2022年7月30日
倫理的には露骨に最悪(本当に超最悪)な振舞いをしている登場人物への批判に、心情面でストッパーがかかってしまうの、体験としてしんどい
— さ (@saku_cakey) 2022年7月30日
今年観た映像作品で一番はこれ……だけれど、上に引いた鑑賞直後の感想から、消化しきれていない。観直したいと思う一方で、正直しんどいし怖い。
他にも『犬は歌わない』『チェチェンへようこそ ―ゲイの粛清―』『ドンバス』『バビ・ヤール』『ナワリヌイ』など、ロシア/ソ連がらみのドキュメンタリーやその手法を使った作品を多く観た。純粋な劇映画を観るのがしんどかった気もする。
バーバラ・ローデン『WANDA』
宣伝などから、主人公を「社会に適応できない人間」として描く作品だろうか、と先入観をもって映画館に行った。実際に観てみると、主人公個人についてはまあその通りとしても、対比として「社会」の側になるかと思われた男性のほうもまた、それにしては「社会に適応」できていなさすぎて、単なる図式的な範疇に留まらず、(良い意味で)納得に至らない作品だった。男性のああいった行為を見ると、同じような性自認を持つと思しき人間としては、どうしても怒りや、自己への不安・嫌悪に囚われてしまうけれども。
あと、ああいった人物として描かれた主人公が、ともあれ運転免許は持っているようで、また車の運転自体はなんとか事故も起こさず行えていた点に、アメリカ(の地方部?)っぽさを感じた。そういった地では、運転もまったくできない、できないと見做される人はどうなるのだろうか。
展覧会とか
「工藤麻紀子展 花が咲いて存在に気が付くみたいな」(平塚美術館)がとても良かった。身体から余計な力が抜ける感があった。ファンになりました。
他に印象に残っているのは以下のあたり。
- 「アレック・ソス Gathered Leaves」(神奈川県立近代美術館 葉山館)
- 「生誕100年 ドナルド・キーン展―日本文化へのひとすじの道」(神奈川近代文学館)
- 「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」(国立西洋美術館)
- 「ゲルハルト・リヒター展」(東京国立近代美術館)
- 「ヴァロットン―黒と白」(三菱一号館美術館)
文筆
発表は『ねむらない樹』9号の渡辺松男特集へ寄稿したエッセイ(「長い・遅い・あやしい」)のみ。短歌作品は発表ゼロで賞にも出せず。
短歌のメモを見返すと、上半期は歌自体の数は(当者比なら)それなりだが、職場が変わってテレワークになったあたりから激減している。私の場合歌が一番できるのは歩いているときなので、必然ではある。来年はもっと外に出ましょう。
10分以内で書く日記/202202
2/1(火)
明け方に地震で起こされて1時間ほど眠れず、その後も良く分からない夢(人類を滅ぼしつつある謎の生命体の根拠地が足柄にあって、山北あたりが最終防衛線になっている、とか)ばかり見せられて断続的に目が覚め、朝起きたときは意識が朦朧としていた。普段の寝起きは悪い方ではないと思うけれど、たまにこういう日がある。
月が変わるとはつまりクレジットカードの引き落としが1か月先になることで、勇んで職場近くの本屋に行ったけれど、目当ての本が1冊もなくて悲しい。悲しすぎたので途中下車して別の本屋で漫画を買った。
【買った本】絹田村子『数字であそぼ。』3-7.先日無料キャンペーンで2巻まで読んで面白かったので。
【勉強】『データベース3000』の2章から3章の途中まで。昼休みしか勉強しなかったので反省。
2/2(水)
通信制の大学のことを調べていたら夜更かししてしまった。金銭的にも生活的にも、現状では夢想の極みのような話なのだけれど。
勤務中、求人のページができたから確認するようにとのお達しでアクセスしたら、その後あちこちのページの広告で弊社の求人情報を見せられた。ターゲッティング広告の限界を感じる。
【勉強】『データベース3000』3章終わりまで。昼休み+帰りの電車でもやったのでえらい。
2/3(木)
睡眠不足だから今日は早く寝よう、と思ったときに想定している「早く」とは22時や23時のはずなのに、気が付くとそれが0時、ややもすれば1時に擦り替わっているのはなぜだろう? これを書いている今ももう0時前だし。
【勉強】『データベース3000』4章の半分くらい。でも眠かったのであまり頭に入っていない気がする。
2/4(金)
オリンピックで最も重要な競技「開会式の選手入場を観ながら各国の蘊蓄を言う」が始まって終わった。
【勉強】『データベース3000』4章終わりまで。
2/5(土)
祖父の四十九日。私は物心が付いたとき=17-8歳のある朝よりも前のことを断片的にしか覚えていなくて、それ以前の自分がどのように人と接していたかも分からない。だからこういった、親戚をはじめそれ以前からの知人と会う、思い出を語る場に出ることには結構な心理的負担を感じるのだけれど、今回は人に言われて思い出すことも多くて良かった。祖父に将棋を習ったこととか。
葬儀のときもそうだったけれど、読経というのは一つのパフォーマンス、芸だなあと思いながら見ていた。仏教式の葬儀に出るのは初めてだったので。
【勉強】『データベース3000』5章の途中まで。5章に入って途端に知らない単語が増えてきた。
2/6(日)
まだ19時前だけれど、何もしていないし、今後も何もしないと思う。せめて掃除くらいはしたいのだけれど。あと早寝。
追記:掃除は達成。早寝は達成できず(0時過ぎまで起きていた)
2/8(火)
テレワークになった。テレワークは私にとっては良いことずくめなのだけれど、なんとなく残業してしまうのは良くない。まあ残業したところで出社して帰宅するよりも早く自由になれるのだけれど。
あとはまあ完全に自分の問題だけれど、数少ない勉強や読書時間である通勤や(職場での)昼休みがなくなる。今はまだ19時台なので、少しは何かしたい。
オリンピックのフィギュアスケート男子をちょっと観たので、感想を箇条書き。
・応援している鍵山くんが良い演技で嬉しい。彼の練習拠点のリンクは私の地元で、幼稚園や小学校では冬になるとしょっちゅう行っていたところ。小学校は体育の授業扱いだったようだけれど、普通の公立小なのに良かったのかな?(冬に普通の体育をした記憶が全然ない)
・ネイサン・チェンの演技は多分ひさびさに観たけれど、こんなにダイナミックだったっけ? ジャンプよりスピンやステップのほうが凄みを感じた。
・ジェイソン・ブラウンはやっぱり格好良い。人間は氷の上であんなにも動けるものなのか、と思った。
2/9(水)
ひさびさに昼間のみなとみらいを歩く。高島水際線公園の鴎(たぶん)が、かなり近くまで寄っても飛び立たなくて良かった(?)。帰りに横浜駅西口の有隣堂に寄る。買った本は以下。
・小泉悠『「帝国」ロシアの地政学』:昨今の情勢にあたって、一応露文出身者の端くれとしてある程度は背景を知っておいたほうが良いと思って。
・水原紫苑編『女性とジェンダーと短歌 書籍版「女性が作る短歌研究」』:そういえば買ってなかった。
・芳沢光雄『離散数学入門 整数の誕生から「無限」まで』:基本情報の分野に離散数学というものがあり、合格したのだから勉強したはずなのだけれどそれがどの部分を指しているのか全然分からなかったので。ぱらぱら立ち読みした限り現状では入門すらできない気がするけれど、こういうものはやる気があるうちに手元に置いておかないと永遠にやらないので……。
2/10(木)
前日夜更かししてしまい、仕事中はまあ平気だったけれど終わった途端眠くなった。そのくせ眠いまま明け方まで起きていたのでダメダメ。フィギュアスケートは観た。
【届いた本】長岡亮介『総合的研究 数学I+A』
大人が数学を勉強するのに、受験参考書は効率的にも本質の理解の面でもあまりよくないと言うけれど、好きなやり方をしても良いだろう、ということで。分厚い参考書を地道にやる、みたいなのに憧れがある(やったことがないので……)。あと参考書みたいな実用性重視のジャンルの本に「研究」って付いてると格好良くない?
2/12(土)
歯医者と散髪に行く。歯医者で治療を受けるのは数年ぶりで、日頃もあまりしっかり磨けている気はしない(一応回数だけはやっている)のだけれど、そんなに汚くないと言われて逆に気味が悪い。
散歩のついでに古本屋を回って本を買った。
・黒田龍之助『ポケットに外国語を』(ちくま文庫)
・森毅『魔術から数学へ』(講談社学術文庫)
・津田一郎『数学とはどんな学問か?』(講談社ブルーバックス)
なんだかもう「数学」とタイトルにある本を手当たり次第に買っているようなありさまで、これではただの数学コンプでは? という気もするが、まあどれかがとっかかりになれば幸い、というくらいのつもりで買っています。
2/14-20
丸一週日記をさぼってしまった。勉強もほとんどしていない。
竹内薫『竹内薫の「科学の名著」案内』
読了。ところどころから垣間見える著者の政治的立場が気になったというか、私があまり好ましく思えるものではなさそうな気がした。はっきり見せられている部分はそれで良いのだけれど
白鳥士郎『りゅうおうのおしごと!』7・9
読了。巻数が飛んでいるのは図書館で予約から届いた順による。
小泉悠『「帝国」ロシアの地政学』
拾い読み中。知的関心として面白いのだけれど、現実の情勢が進行しているなかで読むのはしんどい面もある。
2/21(月)
ロシアの国家安全保障会議の中継(録画では? という疑惑も出ているようだが)を観ながらこれを書いている。一応露文出身の意地でタス通信で観ているがなにも聴き取れない。まあどうせ英語字幕があっても大差ないし……。英語がある程度できるようになったらロシア語をやり直そう(「直す」と言ってよいのかすら怪しいが)とは思っているが、今の調子だといつになることやら。
ウクライナ情勢、という言い方が適当かは分からないが、ともかくそれには一定の関心をもって情報を追いかけているけれど、それは一応私と関わりがある、もっと言えば関わりがあるということにしたい地域・分野の話だからであって、世界のほとんどの戦争・紛争へは無関心だ。そしてその「関心」も、こんなサーカスを意味も分からぬまま流して、適当なところで明日は出社だから眠る、という程度のものでしかない……などという自己否定すらあまりに凡庸だけれど。
そうこうしているうちに中継が切れた。砲撃が始まったというツイートも目にしたけれど、明らかに10分どころではなく経っているのでとりあえず寝ます。
2/22(火)
ウクライナが気になるのと寝不足で集中力を欠いていた。専門家や有名人のTwitterアカウントは、普段は気になったときにhomeへ見に行くのだけれど、その行為をするのが心理的負担になってきたので受動的に読めるよう何人かフォローした。
2/23(水)
マリノス対川崎を観る。やっぱり川崎に勝つとたいへん気分が良い。しかし相変わらず守備はひどいのでなんとかしてほしい、特にセットプレーの。まあスタメンの半分以上が170cm未満ではどうしようもないのかもしれない。この状況だと渡辺皓太あたりは割を食うかもなあ。まあ皓太を下げた後もやられてたけど……。
2/24(木)
戦争が始まってしまった。ひたすらインターネットに張り付いて情報を集める。娯楽として消費しているだけでは? という疑念を自分に抱きつつ。
サンクトペテルブルクのネフスキー大通り、ちょうど6年前に短期留学で滞在していた場所で反戦デモが行われている。現実感がない。月並み極まりない感想だけれど、ロシアで反政府的なデモをするのは凄い勇気だと思う。留学中に遭遇したデモは全て政府の方針に沿うものだった。ノヴゴロドでの「クリミアはロシアのもの」(ロシア語でどう言うのだっけか……)など。
2/25(金)
戦争は続き、一方で早くも決着が近づいてきたというような報道も。戦争には早く終わってほしい、しかしこの決着は明らかに私の望むものではない。気になったニュース。
・ウクライナ政府が総動員令を出した。キエフ市民には火炎瓶(モロトフ・カクテル)での抵抗を求めているらしい。そのことで一般市民が被害に遭う可能性が高まることは間違いないだろう事実で、しかしそれを要求した政府に、戦争阻止にも防衛にも何の実効的な貢献ができなかった国の人間がどういうスタンスを取れば良いのか分からない。どうせ結果は決まっているのだから余計な犠牲を増やすのはやめるべきだ……とは言えない。
・カディロフとその私兵が投入されるという報道も。正規軍同士の戦闘に必要な戦力ではないし、かといって戦後処理要員としてもわざわざチェチェンから連れてくる必要ある? という感じだけれど、マジでウクライナ人を痛めつけたいだけなのか? 戦闘が(予想される結末で)終わったとしても、そのあとも酷いことになりそうで気が重くなる。
情報の海にだけ溺れていても仕方ないので、『「帝国」ロシアの地政学』の飛ばしていた箇所を読み進めた。
【追記】
書き終わったところで、ウクライナ軍がかなり善戦しているのでは? という記事を読んだ。またプーチンは事実上無条件降伏しか容認しない(こちらは残念ながら予想通りだが)という情報も。
前者を単体で見れば、真実であれば私にとっては望ましいニュースだけれど、しかし絶対に無条件降伏しか容認しない相手に対して善戦することは一体何をもたらすのだろうか。これは反語ではなく本当に分からない。
2/26(土)
歯医者に行く。半年くらい経ったらまた来てくださいと言われて、前に行っていた、やたらと通院を求める歯医者はなんだったんだ、と思う。金がないので行かなくなったけれど。
2/27(日)
ひとと会う。軍事と政治の話ばかりになってしまった。もっと楽しい話をしたいのだけれど。
ロシア側が戦力核をちらつかせた、というニュースを見る。人類が滅びるとしてそれは仕方ないが(いつかは必ずそうなるだろう)、経済制裁に核を持ち出す個人のせいで滅びるのは勘弁願いたい。
松田直樹のこと
僕がマリノスを応援しはじめたのは2010年のワールドカップのあとで、だから僕はその選手が活躍しているところをあまり見たことがない。
サポーターからは「マツ」と呼ばれている彼が日本代表としてワールドカップにも出たことのある選手で、生え抜きの「ミスターマリノス」であるということは知っていた。スタメン発表で名前がコールされたときのスタジアムの盛り上がりも体感した。けれども松田が出たワールドカップは、中村俊輔が落選した代表発表会見くらいしか印象にない8年前のもので(当時は野球少年で、会見を見たのもたまたま友達の家にいたからに過ぎない)、2010年の松田の見せるパフォーマンスは彼が浴びている大歓声ほど特別なものには見えなかった。
そういうわけでそのシーズンの終了前に彼が契約非更新(要はクビだ)になるというニュースがスポーツ新聞に踊っても僕にはさしたる感慨もなくて、多くのサポーターがインターネットで怒っているのも、クラブハウスの前に座り込んで撤回を求めていることにも全然ピンとこなかった。別に嫌いなわけじゃない、新米ファンであっても知っていた彼にまつわるエピソードには、人間的な魅力を感じるものが多かった。でもプロスポーツなのだから戦力にならないと判断された選手と契約しないのはしょうがないことじゃないか。ちょっと反発した。
シーズンの、そして松田にとってマリノスでの最後の試合はテレビで観た。試合後の監督や社長のスピーチは、大ブーイングと松田のチャントでかき消されていた。ナーオーキ、ナーオーキ、ナーオーキ、直樹オレ! なんだか居たたまれない気分になってテレビを消したので、彼のマリノスでの最後の挨拶は観ていない。
翌年の8月、日課どおりインターネットでマリノス関連の情報を収集していると、松田が移籍したチームの練習中に倒れたというニュースが目に飛び込んできた。サポーターはみんな祈って、そのことをSNSや掲示板に書き込んでいて、僕も祈って、でも書きこむことはできなくて代わりに動画サイトを彼の名前で検索した。ディフェンダーというポジション柄か、プレーしている映像はあまり見つからなかったけれど。例の最後の挨拶もそのとき観た。モニターの中の観客は怒っていたり泣いていたりしていて、今はこのひとたちがみんな泣きながら祈っているのだろうかと考えた。
しかしいまさらいくら映像を観ても過去に遡って松田と時間を共有することはできないのだ。僕は部外者だった。
8月4日、桜木町の中央図書館から歩いて帰る途中、少し遠回りしてマリノスタウンの近くを歩いていると、突然大粒の雨が降ってきた。空は晴れているのに。インターネットを見ると「涙雨」という語がいくつも書き込まれていて、彼が亡くなったことと、知らなかった言葉を知った。
2015年、大学でもぐっていた創作系のゼミで、スポーツにまつわる文章という課題で提出したものに加筆修正した。私以外にサッカーに関心がありそうな参加者はおらず*1、討議はまるで盛り上がらなかったのだけれど、飯田出身だという後輩が、この選手の話をテレビで観た記憶がある、と言っていた。その人は松本山雅のこともうっすらとしか認識していなさそうだったけれど、むしろそういう人の頭の片隅に松田が残っていることに、なんだか感慨というか、救われたような気持ちが湧き上がってきて、少し泣きそうになったことを覚えている。