良い旅を

短歌作品(2012-2017)

 2012年から2017年の間に発表した短歌作品*1を公開します。昨今の騒ぎで暇になった方や元々暇な方、暇でなくても興味のある方はお読みいただければ幸いです。
 ちなみにこの期間の自選10首はこちらです。

hanasikotoba.hatenablog.com




右上の□に矢印のアイコンをクリックするとダウンロードできます。



 感染症が流行していようといなかろうと人間はいつでも死にうるし、個人的には特に気にして生活しているわけではない(手洗い・うがいは習慣だからしている)けれど、持病を考慮すると平均より重症化リスクは高そうだし、私が死んで作品が散逸したら勿体ないので公開しておくことにしました。もし死んだら、どなたか遺歌集でも出していただければ幸いです。同人誌でよいので。
 死ななければ感染症騒ぎが落ち着いたあたりで公開停止します。生きていればいつか自分で出すつもりの歌集ではここに収録されている連作にもだいぶ手を入れるだろうし、もちろん新たな作品も加えるので、面白いなと思ったらそのときは買ってください*2

*1:初期を中心に落とした作品あり

*2:まあ公開停止してから歌集を出すまでに死ぬ可能性も当然あるけれど、一度公開しておけばダウンロードして保存してくれている人がどこかにいるでしょう

自選10首(~2017)

(展開によっては奪う)はつなつの花野にきみが濡れそぼち立つ

朗読をかさねやがては天国の話し言葉に到るのだろう

おそなつが非在のきみを在らしめて晴れるって言ってくれたのみどの

坂沿いののぼりに一つずつふれる 祭りのあとの寺へとすすむ

落ち合えばそこがうみでいっせいに鳥が飛ぶのを眺めてました

Где море?海はどこ? と聞けばかすかに笑いつつゆびさす氷の果ての氷を

そこで打つ手なら電車で決めてきてだれに絆されても変わらない

歩行者天国ほこてんもだって天国なのだから天使のような服をきようよ

関係を名づければもうぼくたちの手からこぼれてゆく鳳仙花

香港の十分おきに雨が降る映画のなかの雨の香港


1.「失うまえに」『早稲田短歌』43号
2.「往信」『羽根と根』創刊号
3.「走る」『羽根と根』 2号
4-5.「湖辺で」『羽根と根』3号
6.「橋と水/ペテルブルク」『羽根と根』4号
7.「到達」『羽根と根』5号
8.「パーリデイ」『一月一日』vol.4
9.「探偵と天使」『羽根と根』6号
10.「早春賦」『tanqua franca』

2023年の目標66

目標が達成できないなら目標のほうを増やせばいいじゃない。

読む本

やる(ノベル)ゲーム

文筆

  • 毎月10首作る
  • 毎月1度は何らかの散文(例:一首評)をブログに書く
  • 何らかの(新人)賞に出す

資格

  • 高度情報処理技術者試験(2つ)
    • 春に支援士→秋にDBスペシャリストの予定だったが、秋から支援士の形式が変わるようなので悩み中
  • Java Gold SE 11
  • AWS資格
    • SAP on AWS以外の11つ
  • 英検準1級
  • FP2級
  • 簿記2級

その他・生活

  • 週に49時間以上寝る
  • 起床したらベッドのマットレスを立て、寝るとき以外は横にならない
  • 毎日15分は何らかの勉強をする
  • 2日に1度はベースの練習をする
  • 月の80%は外に出る
  • 毎月4km/日歩く
  • 23時を過ぎたらスマートフォンで遊ばない
  • 日記を付ける
  • 毎月ブログに振り返り記事を書く

2022年の振り返り

ぜんぜん記録を付けていないので間違いなく漏れがある。

ケイト・ウィルヘルム『鳥の歌いまは絶え』

 今年読んだ本で一冊だけ挙げるならこれ。三部構成で進展していくディストピアのビジョンも秀逸だけれど、ラストの主要登場人物二人の別れのシーンがあまりにも鮮烈だった。

小泉悠『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』/同『現代ロシアの軍事戦略』

 東欧現代史の研究をするつもりで大学に入った日は遠い昔に思えるけれど、まったく、本当に嬉しくない理由でかの地域に関する本を多く読む一年になってしまった。中でも小泉氏の本は勉強になった。文章も上手いし。
 ロシアの政治・軍事関連書は積んでいるものも多い(正直読んでいてしんどくなることもある)ので、来年も少しずつ崩していくことになるでしょう。願わくは、一刻も早く戦争が終わりますよう。

ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』

 読んでいる間の楽しさはSFというよりむしろミステリに感じるそれだったと思う。
 だいたいオチの予想が付いてしまったのは、昔「rewrite(key)を読んだ後に読むべきSF小説10選」的な記事(たしかはてなブログだったはずだがググっても見つからない)で挙げられていたから。

岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』

(いつもこうやって感想を書いておいてほしかった)

鴨志田一青春ブタ野郎』シリーズ

 エンタメ作品で「土地」が描かれること、またそれを読むことには、いわゆる純文学などとはまた違う喜びがあると思った。それが自分にとって親しみのある場所ならば余計に(明らかに私の生まれたそれがモデルの病院が出てきてウケた)。
 しかししばらく新刊が出ていないようなので、あるいはもう出ないのでは……と書こうとして、念のため調べたら最近出たらしい! 今度買いに行こう。

映像

カンテミール・パラーゴフ『戦争と女の顔』

 今年観た映像作品で一番はこれ……だけれど、上に引いた鑑賞直後の感想から、消化しきれていない。観直したいと思う一方で、正直しんどいし怖い。
 他にも『犬は歌わない』『チェチェンへようこそ ―ゲイの粛清―』『ドンバス』『バビ・ヤール』『ナワリヌイ』など、ロシア/ソ連がらみのドキュメンタリーやその手法を使った作品を多く観た。純粋な劇映画を観るのがしんどかった気もする。

バーバラ・ローデン『WANDA』

 宣伝などから、主人公を「社会に適応できない人間」として描く作品だろうか、と先入観をもって映画館に行った。実際に観てみると、主人公個人についてはまあその通りとしても、対比として「社会」の側になるかと思われた男性のほうもまた、それにしては「社会に適応」できていなさすぎて、単なる図式的な範疇に留まらず、(良い意味で)納得に至らない作品だった。男性のああいった行為を見ると、同じような性自認を持つと思しき人間としては、どうしても怒りや、自己への不安・嫌悪に囚われてしまうけれども。
 あと、ああいった人物として描かれた主人公が、ともあれ運転免許は持っているようで、また車の運転自体はなんとか事故も起こさず行えていた点に、アメリカ(の地方部?)っぽさを感じた。そういった地では、運転もまったくできない、できないと見做される人はどうなるのだろうか。

幾原邦彦輪るピングドラム』(アニメ版)/『RE:cycle of the PENGUINDRUM[後編] 僕は君を愛してる』

 アニメ版を一気観し、その数時間後に劇場版の後編(上映終了直前だった)を観た。
 演出の快楽は勿論のことながら、ストーリーはさんざん言われていることだろうけれどとにかくヤバい親が多すぎる。あの手この手で虐待を描いてきて、劇場の音響で聴くとキツいシーンも多かった。
 一番好きなキャラクターは荻野目苹果です。あと劇場版の新曲めっちゃいい曲でしたね。

斎藤圭一郎『ぼっち・ざ・ろっく!』

 めちゃくちゃ久々にリアルタイムでアニメを追いかけた。たぶんまどマギ以来? 今のところ一番好きな曲は「カラカラ」です(まだアルバム買えてない)。ボーカルの透明感と熱さの塩梅がめっちゃいい……。
 金沢八景、下北沢、江ノ島と、それなりに馴染みがある場所が舞台になっていたのも嬉しかった。
 原作も買った。アニメの範囲より先のほうがもっと好きなので、ぜひ2期もやってほしい。「グルーミーグッドバイ」が聴きたいです。

展覧会とか

  「工藤麻紀子展 花が咲いて存在に気が付くみたいな」(平塚美術館)がとても良かった。身体から余計な力が抜ける感があった。ファンになりました。
 他に印象に残っているのは以下のあたり。

文筆

 発表は『ねむらない樹』9号の渡辺松男特集へ寄稿したエッセイ(「長い・遅い・あやしい」)のみ。短歌作品は発表ゼロで賞にも出せず。
 短歌のメモを見返すと、上半期は歌自体の数は(当者比なら)それなりだが、職場が変わってテレワークになったあたりから激減している。私の場合歌が一番できるのは歩いているときなので、必然ではある。来年はもっと外に出ましょう。

10分以内で書く日記/202202

2/1(火)

明け方に地震で起こされて1時間ほど眠れず、その後も良く分からない夢(人類を滅ぼしつつある謎の生命体の根拠地が足柄にあって、山北あたりが最終防衛線になっている、とか)ばかり見せられて断続的に目が覚め、朝起きたときは意識が朦朧としていた。普段の寝起きは悪い方ではないと思うけれど、たまにこういう日がある。
月が変わるとはつまりクレジットカードの引き落としが1か月先になることで、勇んで職場近くの本屋に行ったけれど、目当ての本が1冊もなくて悲しい。悲しすぎたので途中下車して別の本屋で漫画を買った。
【買った本】絹田村子『数字であそぼ。』3-7.先日無料キャンペーンで2巻まで読んで面白かったので。
【勉強】『データベース3000』の2章から3章の途中まで。昼休みしか勉強しなかったので反省。

2/2(水)

通信制の大学のことを調べていたら夜更かししてしまった。金銭的にも生活的にも、現状では夢想の極みのような話なのだけれど。
勤務中、求人のページができたから確認するようにとのお達しでアクセスしたら、その後あちこちのページの広告で弊社の求人情報を見せられた。ターゲッティング広告の限界を感じる。
【勉強】『データベース3000』3章終わりまで。昼休み+帰りの電車でもやったのでえらい。

2/3(木)

睡眠不足だから今日は早く寝よう、と思ったときに想定している「早く」とは22時や23時のはずなのに、気が付くとそれが0時、ややもすれば1時に擦り替わっているのはなぜだろう? これを書いている今ももう0時前だし。
【勉強】『データベース3000』4章の半分くらい。でも眠かったのであまり頭に入っていない気がする。

2/4(金)

オリンピックで最も重要な競技「開会式の選手入場を観ながら各国の蘊蓄を言う」が始まって終わった。
【勉強】『データベース3000』4章終わりまで。

2/5(土)

祖父の四十九日。私は物心が付いたとき=17-8歳のある朝よりも前のことを断片的にしか覚えていなくて、それ以前の自分がどのように人と接していたかも分からない。だからこういった、親戚をはじめそれ以前からの知人と会う、思い出を語る場に出ることには結構な心理的負担を感じるのだけれど、今回は人に言われて思い出すことも多くて良かった。祖父に将棋を習ったこととか。
葬儀のときもそうだったけれど、読経というのは一つのパフォーマンス、芸だなあと思いながら見ていた。仏教式の葬儀に出るのは初めてだったので。
【勉強】『データベース3000』5章の途中まで。5章に入って途端に知らない単語が増えてきた。

2/6(日)

まだ19時前だけれど、何もしていないし、今後も何もしないと思う。せめて掃除くらいはしたいのだけれど。あと早寝。
追記:掃除は達成。早寝は達成できず(0時過ぎまで起きていた)

2/8(火)

テレワークになった。テレワークは私にとっては良いことずくめなのだけれど、なんとなく残業してしまうのは良くない。まあ残業したところで出社して帰宅するよりも早く自由になれるのだけれど。
あとはまあ完全に自分の問題だけれど、数少ない勉強や読書時間である通勤や(職場での)昼休みがなくなる。今はまだ19時台なので、少しは何かしたい。
オリンピックのフィギュアスケート男子をちょっと観たので、感想を箇条書き。
・応援している鍵山くんが良い演技で嬉しい。彼の練習拠点のリンクは私の地元で、幼稚園や小学校では冬になるとしょっちゅう行っていたところ。小学校は体育の授業扱いだったようだけれど、普通の公立小なのに良かったのかな?(冬に普通の体育をした記憶が全然ない)
・ネイサン・チェンの演技は多分ひさびさに観たけれど、こんなにダイナミックだったっけ? ジャンプよりスピンやステップのほうが凄みを感じた。
・ジェイソン・ブラウンはやっぱり格好良い。人間は氷の上であんなにも動けるものなのか、と思った。

2/9(水)

ひさびさに昼間のみなとみらいを歩く。高島水際線公園の鴎(たぶん)が、かなり近くまで寄っても飛び立たなくて良かった(?)。帰りに横浜駅西口の有隣堂に寄る。買った本は以下。
・小泉悠『「帝国」ロシアの地政学』:昨今の情勢にあたって、一応露文出身者の端くれとしてある程度は背景を知っておいたほうが良いと思って。
水原紫苑編『女性とジェンダーと短歌 書籍版「女性が作る短歌研究」』:そういえば買ってなかった。
・芳沢光雄『離散数学入門 整数の誕生から「無限」まで』:基本情報の分野に離散数学というものがあり、合格したのだから勉強したはずなのだけれどそれがどの部分を指しているのか全然分からなかったので。ぱらぱら立ち読みした限り現状では入門すらできない気がするけれど、こういうものはやる気があるうちに手元に置いておかないと永遠にやらないので……。

2/10(木)

前日夜更かししてしまい、仕事中はまあ平気だったけれど終わった途端眠くなった。そのくせ眠いまま明け方まで起きていたのでダメダメ。フィギュアスケートは観た。
【届いた本】長岡亮介『総合的研究 数学I+A』
大人が数学を勉強するのに、受験参考書は効率的にも本質の理解の面でもあまりよくないと言うけれど、好きなやり方をしても良いだろう、ということで。分厚い参考書を地道にやる、みたいなのに憧れがある(やったことがないので……)。あと参考書みたいな実用性重視のジャンルの本に「研究」って付いてると格好良くない?

2/12(土)

歯医者と散髪に行く。歯医者で治療を受けるのは数年ぶりで、日頃もあまりしっかり磨けている気はしない(一応回数だけはやっている)のだけれど、そんなに汚くないと言われて逆に気味が悪い。
散歩のついでに古本屋を回って本を買った。
黒田龍之助『ポケットに外国語を』(ちくま文庫
森毅『魔術から数学へ』(講談社学術文庫
津田一郎『数学とはどんな学問か?』(講談社ブルーバックス
なんだかもう「数学」とタイトルにある本を手当たり次第に買っているようなありさまで、これではただの数学コンプでは? という気もするが、まあどれかがとっかかりになれば幸い、というくらいのつもりで買っています。

2/13(日)

ひとと会う。喫茶店のケーキが安すぎて不安になった。竹内薫竹内薫の「科学の名著」案内』を途中まで読む。

2/14-20

丸一週日記をさぼってしまった。勉強もほとんどしていない。
竹内薫竹内薫の「科学の名著」案内』
読了。ところどころから垣間見える著者の政治的立場が気になったというか、私があまり好ましく思えるものではなさそうな気がした。はっきり見せられている部分はそれで良いのだけれど
白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』7・9
読了。巻数が飛んでいるのは図書館で予約から届いた順による。
小泉悠『「帝国」ロシアの地政学
拾い読み中。知的関心として面白いのだけれど、現実の情勢が進行しているなかで読むのはしんどい面もある。

2/21(月)

ロシアの国家安全保障会議の中継(録画では? という疑惑も出ているようだが)を観ながらこれを書いている。一応露文出身の意地でタス通信で観ているがなにも聴き取れない。まあどうせ英語字幕があっても大差ないし……。英語がある程度できるようになったらロシア語をやり直そう(「直す」と言ってよいのかすら怪しいが)とは思っているが、今の調子だといつになることやら。
ウクライナ情勢、という言い方が適当かは分からないが、ともかくそれには一定の関心をもって情報を追いかけているけれど、それは一応私と関わりがある、もっと言えば関わりがあるということにしたい地域・分野の話だからであって、世界のほとんどの戦争・紛争へは無関心だ。そしてその「関心」も、こんなサーカスを意味も分からぬまま流して、適当なところで明日は出社だから眠る、という程度のものでしかない……などという自己否定すらあまりに凡庸だけれど。
そうこうしているうちに中継が切れた。砲撃が始まったというツイートも目にしたけれど、明らかに10分どころではなく経っているのでとりあえず寝ます。

2/22(火)

ウクライナが気になるのと寝不足で集中力を欠いていた。専門家や有名人のTwitterアカウントは、普段は気になったときにhomeへ見に行くのだけれど、その行為をするのが心理的負担になってきたので受動的に読めるよう何人かフォローした。

2/23(水)

マリノス対川崎を観る。やっぱり川崎に勝つとたいへん気分が良い。しかし相変わらず守備はひどいのでなんとかしてほしい、特にセットプレーの。まあスタメンの半分以上が170cm未満ではどうしようもないのかもしれない。この状況だと渡辺皓太あたりは割を食うかもなあ。まあ皓太を下げた後もやられてたけど……。

2/24(木)

戦争が始まってしまった。ひたすらインターネットに張り付いて情報を集める。娯楽として消費しているだけでは? という疑念を自分に抱きつつ。
サンクトペテルブルクネフスキー大通り、ちょうど6年前に短期留学で滞在していた場所で反戦デモが行われている。現実感がない。月並み極まりない感想だけれど、ロシアで反政府的なデモをするのは凄い勇気だと思う。留学中に遭遇したデモは全て政府の方針に沿うものだった。ノヴゴロドでの「クリミアはロシアのもの」(ロシア語でどう言うのだっけか……)など。

2/25(金)

戦争は続き、一方で早くも決着が近づいてきたというような報道も。戦争には早く終わってほしい、しかしこの決着は明らかに私の望むものではない。気になったニュース。
ウクライナ政府が総動員令を出した。キエフ市民には火炎瓶(モロトフ・カクテル)での抵抗を求めているらしい。そのことで一般市民が被害に遭う可能性が高まることは間違いないだろう事実で、しかしそれを要求した政府に、戦争阻止にも防衛にも何の実効的な貢献ができなかった国の人間がどういうスタンスを取れば良いのか分からない。どうせ結果は決まっているのだから余計な犠牲を増やすのはやめるべきだ……とは言えない。
カディロフとその私兵が投入されるという報道も。正規軍同士の戦闘に必要な戦力ではないし、かといって戦後処理要員としてもわざわざチェチェンから連れてくる必要ある? という感じだけれど、マジでウクライナ人を痛めつけたいだけなのか? 戦闘が(予想される結末で)終わったとしても、そのあとも酷いことになりそうで気が重くなる。
情報の海にだけ溺れていても仕方ないので、『「帝国」ロシアの地政学』の飛ばしていた箇所を読み進めた。
【追記】
書き終わったところで、ウクライナ軍がかなり善戦しているのでは? という記事を読んだ。またプーチンは事実上無条件降伏しか容認しない(こちらは残念ながら予想通りだが)という情報も。
前者を単体で見れば、真実であれば私にとっては望ましいニュースだけれど、しかし絶対に無条件降伏しか容認しない相手に対して善戦することは一体何をもたらすのだろうか。これは反語ではなく本当に分からない。

2/26(土)

歯医者に行く。半年くらい経ったらまた来てくださいと言われて、前に行っていた、やたらと通院を求める歯医者はなんだったんだ、と思う。金がないので行かなくなったけれど。

2/27(日)

ひとと会う。軍事と政治の話ばかりになってしまった。もっと楽しい話をしたいのだけれど。
ロシア側が戦力核をちらつかせた、というニュースを見る。人類が滅びるとしてそれは仕方ないが(いつかは必ずそうなるだろう)、経済制裁に核を持ち出す個人のせいで滅びるのは勘弁願いたい。

松田直樹のこと

 僕がマリノスを応援しはじめたのは2010年のワールドカップのあとで、だから僕はその選手が活躍しているところをあまり見たことがない。
 サポーターからは「マツ」と呼ばれている彼が日本代表としてワールドカップにも出たことのある選手で、生え抜きの「ミスターマリノス」であるということは知っていた。スタメン発表で名前がコールされたときのスタジアムの盛り上がりも体感した。けれども松田が出たワールドカップは、中村俊輔が落選した代表発表会見くらいしか印象にない8年前のもので(当時は野球少年で、会見を見たのもたまたま友達の家にいたからに過ぎない)、2010年の松田の見せるパフォーマンスは彼が浴びている大歓声ほど特別なものには見えなかった。
 そういうわけでそのシーズンの終了前に彼が契約非更新(要はクビだ)になるというニュースがスポーツ新聞に踊っても僕にはさしたる感慨もなくて、多くのサポーターがインターネットで怒っているのも、クラブハウスの前に座り込んで撤回を求めていることにも全然ピンとこなかった。別に嫌いなわけじゃない、新米ファンであっても知っていた彼にまつわるエピソードには、人間的な魅力を感じるものが多かった。でもプロスポーツなのだから戦力にならないと判断された選手と契約しないのはしょうがないことじゃないか。ちょっと反発した。
 シーズンの、そして松田にとってマリノスでの最後の試合はテレビで観た。試合後の監督や社長のスピーチは、大ブーイングと松田のチャントでかき消されていた。ナーオーキ、ナーオーキ、ナーオーキ、直樹オレ! なんだか居たたまれない気分になってテレビを消したので、彼のマリノスでの最後の挨拶は観ていない。


 翌年の8月、日課どおりインターネットでマリノス関連の情報を収集していると、松田が移籍したチームの練習中に倒れたというニュースが目に飛び込んできた。サポーターはみんな祈って、そのことをSNS掲示板に書き込んでいて、僕も祈って、でも書きこむことはできなくて代わりに動画サイトを彼の名前で検索した。ディフェンダーというポジション柄か、プレーしている映像はあまり見つからなかったけれど。例の最後の挨拶もそのとき観た。モニターの中の観客は怒っていたり泣いていたりしていて、今はこのひとたちがみんな泣きながら祈っているのだろうかと考えた。
 しかしいまさらいくら映像を観ても過去に遡って松田と時間を共有することはできないのだ。僕は部外者だった。
 8月4日、桜木町の中央図書館から歩いて帰る途中、少し遠回りしてマリノスタウンの近くを歩いていると、突然大粒の雨が降ってきた。空は晴れているのに。インターネットを見ると「涙雨」という語がいくつも書き込まれていて、彼が亡くなったことと、知らなかった言葉を知った。



 2015年、大学でもぐっていた創作系のゼミで、スポーツにまつわる文章という課題で提出したものに加筆修正した。私以外にサッカーに関心がありそうな参加者はおらず*1、討議はまるで盛り上がらなかったのだけれど、飯田出身だという後輩が、この選手の話をテレビで観た記憶がある、と言っていた。その人は松本山雅のこともうっすらとしか認識していなさそうだったけれど、むしろそういう人の頭の片隅に松田が残っていることに、なんだか感慨というか、救われたような気持ちが湧き上がってきて、少し泣きそうになったことを覚えている。

*1:もぐりを含め2-30人ほどのゼミ生(もぐりを含む)のうち、プロ野球についても日常的に観ていそうなのは私以外に1人だけだったので、エンターテイメントとしてのスポーツ(観戦)とは親和性の低い場だったのだと思う。他に学内スポーツ紙の記者はいたけれど

笠木拓『はるかカーテンコールまで』十首選

ショッピングモールはきっと箱舟、とささやきあって屋上へ出る


 この歌の構成要素の重要度に順位をつけるとしたら、①ショッピングモール=箱舟という発想、②「屋上へ出る」という着地点だと思うけれど、③にあたる「ささやきあって」というディテールこそがイメージを喚起し、読者に歌を体感させるわけで、そこを書けるかどうかが作者としての力量の分かれ目なのだろう。
 

ケータイを畳み両手で胸に当てあこがれこがれこわがるなかれ


「だるいせつないこわいさみしい」*1の順番をしばしば忘れる私でも、「あこがれこがれこわがるなかれ」は初読から忘れたことがない(「こわがるなかれ」は一纏めだしアンフェアな比較だけれど)。読んでいると胸がどきどきするような、甘酸っぱい気持ちになる。


子どものころのことを訊かれてある雨の夜の搭乗ゲートを告げる


おみくじをすんと結びぬ 妹の祈るいいもとれたことだし


お姉ちゃんみたいなひとがまたひとり人妻になる 縁石をゆく


「お姉ちゃん」ではない人を「お姉ちゃんみたいなひと」と捉えることは、自分との間に何らかの関係性が結ばれることへの欲望を示唆しているけれど、それが具体的にどういったものかはそこまで明確にはならない。それは社会において、男性が*2「お姉ちゃんみたいなひと」と他者(たいていは女性だろう)を思うことは肯定されがたく、欲望が隠匿されてきたからだろう。一方で「人妻」という捉え方は社会に溢れていて、そう名指すことがほとんど特定の欲望の言明と不可分だ。
 相手を「人妻」として捉えることは、「お姉ちゃんみたいなひと」に/との間に自分が望んでいたものを固定しかねない。それは読者の読解上も、そしておそらくは主体自身の内面においても。けれども、特定の感情に回収しがたい――危うさの喩のような行為とも取れるし、それこそ「お姉ちゃんみたいなひと」と捉えることが社会に承認されやすい幼少期に軽やかにやっていたことでもある――「縁石をゆく」で歌が終わることにより、欲望はぎりぎりのところで固定されずに済み、そのことに正直なところ安堵し、安堵していることを自覚してどれほど自分がこの歌に捕らえられていたかに気づいた。


ぼくの夢は夢を言いよどまないこと窓いっぱいにマニキュアを塗る
でもこれは記録だ。ぼくのかじかんだ手が書く一度きりの夕焼け


minasokosunadokei.hatenablog.com


 志村貴子放浪息子』がエピグラフに引かれた連作から。この連作「For You」*3は短歌による二次創作として最良のものと信じているけれど、なかでも最初と最後の歌にあたる、それぞれ冒頭で最終巻にある言葉を引用しているこの二首は、そこからの展開のしかたが本当にすばらしい。


美樹さやかに僕はなりたい鱗めく銀の自転車曳くゆうまぐれ


 今は忘れられたTwitterアカウントでの青年時代には私は美樹さやかアイコンだった。私は今でも美樹さやかになりたいだろうか?


だが会いにゆかねば遠く尖塔がふかぶかと藍にしずむ夕暮れ


 倒置でもないのにいきなり接続詞からはじめ、前提条件を隠匿することで主体の思いをクローズアップする、という現代短歌にありがちな技法*4を用いた歌は、往々にして切迫感や息の苦しい感じを与えるけれど、この歌にはどこか余裕や息の長さが感じられる。いや、「だが」と言っているからには何らかの懸念や葛藤はあったのだろうけれど、それはもう済んだことで、とっくに覚悟は決まっている、というか。「ふかぶかと藍に」の八音が効いていると思う。


終バスを映画で逃す 雨音をやがて失う世界を歩む


 バスを逃して歩いて帰っている、という出来事と歌を読んで受ける印象があまりにかけ離れている。世界からはいずれあらゆるものが(世界そのものさえも)失われる、という立場に立てば、「()をやがて失う世界を歩む」にはいま世界に存在する任意のものを入れればよく、そういう歌だと思っているけれど、そこで「雨音」を選ぶのは格好良すぎない?

*1:サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい/穂村弘

*2:いや主体が男性とはこの歌にも歌集のどこにも書いてないのだけれど

*3:このタイトルもアニメ版のED曲から取っていると思われる

*4:便宜的に「逆言いさし」なんて呼んでいるけれど、我ながらダサすぎるので適切な呼称があったら教えてほしい