良い旅を

『Q短歌会機関紙』第二号

 第二十九回文学フリマ東京で購入。機関紙なのか機関誌なのか。表紙や奥付は「紙」だけれど、巻頭言は「誌」になっている。辞書的には「誌」と呼ぶべき形態だと思うけれども。
 会員の連作・一首評に加え、ゲストの岡野大嗣・初谷むいの作品とダブルインタビューが掲載されている。


この先コンビニはありません こういうのすぐ撮るよね、いい感じに撮れた?
/岡野大嗣「ゆきとかえり」


 歌を複数の部分に分けてポリフォニックにする、というのは現代短歌ではだいぶ定着した手法だけれど、この歌では最初の声と思われたものが実は「声」ではないところに裏切りがある。そして三句以下の(今度は正真正銘の)「声」の発話者がいて、それを受け取っている、看板? を撮った、沈黙の「声」の発話者がいる。短歌一首に三人以上の人間を、いわゆる「顔を持つ」ものとして登場させるのは難しいなんて言うけれど、この歌には二人と一枚(?)が実に生き生きと登場していると思う。


 ダブルインタビューはめちゃくちゃ長い。これで何万字くらいになるのだろう。
 聴き手側が自身の主張をどんどん展開するところが、良い意味で学生サークルの機関誌っぽいなあと思う。

岡野:音楽だと初期衝動みたいなのが出てることが多いじゃないですか、1stアルバムとかって。歌集って結構みんなある程度経ってから出すから、ホントは載せてても良いような、ちょっと青臭いやつとかが載らなかったり落ちたり自分で削ったりすると思うんですけど、
青松:1周してから出す風潮はありますよね。8年くらいやってこう……見えてきた、みたいな。
岡野:みんな第3歌集みたいな第1歌集になってくるような気がして。


 確かに、と思った。最初数年の歌は全部捨ててしまうという人もけっこういるけれど、そのなかにも好きな歌が合ったりすると勿体ないなく感じる。
 歌人は歌集を出すとき、自らの美意識にそぐわない歌は徹底的に捨てがち(まあ出したことないから本当のところは分からないが)で、それが美徳とされる傾向もある気がするけれど、もう少しファジーに作っても良いのかもしれない。

青松:今、2019年に生きてる(ほとんどの)人って、短歌を好きになるより(前に)絶対に音楽とか、他のカルチャーを好きになるフェーズがありますよね。最初に好きになるカルチャーが短歌って、あんまりない。

 この記事で書いた話とたぶん近い。 

初谷:あと新鋭短歌で好きな歌集は、学生短歌が大好きな『トントングラム』、『緑の祠』。
青松:その二冊は学生全員読んでるんじゃないかとっていう。
初谷:学生全員読んでる説ありますね。みんな大好き。


 私はその2冊が刊行された頃まだ学生だったけれど、特に『トントングラム』に関しては、「学生短歌(会)」とは割とフィールドが違うものだと思っていたので、今はそうなっているのかーと思った。『緑の祠』にしても私はとても好きだけれど、「学生全員読んでる」という印象はまるでなかったし。もっとも私は早稲田短歌会と言う学生短歌会のなかでは相対的に規模の大きい団体にいた一方、他のサークルとの交流はそこまで多くなかったので、「学生」で想像している層が違う可能性はある。


 インタビュー中で引かれていた歌から。


炭酸のペットボトルに花をさす 猫扱いもうれしかったよ 今さら?(笑)
/初谷むい


 定型が終わってからすべてをひっくり返す「今さら?」のみが強く記憶に残る。アンチ短歌的短歌?


ぼくはもうこれがトゥルーマン・ショーだって気づいたぜ ロン 九蓮宝燈ちゅうれんぽうとう
/濱田友郎


 何度見ても名歌だと思う。九蓮宝燈和了る機会があったら絶対に言いたい。もう何年も麻雀やってないけれど。


 会員の連作は10本・一首評は1本。巻頭の目次に会員作品の情報がなかったので、中扉にはあるかと思ったがなかった。目次はつけてほしい。


ハイスピードカメラでゆっくりな動画を撮ってよなにかを忘れるほどゆっくりな
雨の音 というより金属の音 うるさい うるさくて眠れない
/青松輝「metaphor」


 ハイスピードカメラで動画を撮ってほしい、という現代的な・些細なものだったはずの要求が、歌の終わりには、なにか呪術的な、不穏で危険な求めに変化している。
 サッカーのVAR*1で、スロー再生をするとファウルにより厳しいペナルティを科す傾向にある*2という問題も思い出した。「スローは強さ・速さ、インパクトの衝撃が全部見えなくなって、『ぶつかったかどうか』という現象だけにな」るという話が端的に表しているように、ひどくゆっくりな映像は現実感を喪失させるから、その延長で記憶を失うこともあり得るかもしれない。大幅に字余りしていた上句から下句でほぼ定型に収まることにより、読みが減速されることともシンクロし、この下句自体が「なにかを忘れるほどゆっくりな」ものなのにも感じられる。とても好きな歌。
 二首目、「うるさい」と言っているけれど、歌のトーンはまったくうるさそうに見えない。そのせいで「うるさい」と感じている主体の内面がむしろフォーカスされる。
 連作としてもとても良かった。


何でもない日に僕たちはおしゃれして行くんだスタジオ・アリスに狩りに
/佐藤翔「この町はリバー」


スタジオマリオ」でも「カメラのキタムラ」でもこの歌は駄目なわけで、歌のなかで固有名詞が効いている、チョイスがうまい(いわゆる「語が動かない」)というより、むしろこの歌に相応しい固有名詞がこの世にあってよかった、と感じる。「アリスに狩りに」の韻律もいい。


しんじゃえーる、 わたし、いがいを、 よぶ の、なら ? きみに、あげるの、しんじゃえーるを*3
/藤井茉理「黄色憐歌」


 最初は「死んじゃえる」に「ジンジャーエール」を掛けた単なる言葉遊びだと思ったが、結句に至るとそれは「あげる」ことが可能なものとなっており、それはただの「死んじゃえる」ではありえない。「ジンジャーエール」の物質的性質と「死んじゃえる」の双方を持つ謎のものがそこに存在している。「しんじゃえーる」、もらいたくない。
 

*1:Video Assistant Referee、いわゆるビデオ判定

*2:なぜこの記事が医療ニュースのサイトに掲載されているのか謎

*3:改行の関係上、誌面からは「あげるの、」後の字空けの有無が判別できない

『ぬばたま』第四号

 第二十九回文学フリマ東京で入手。1996年生まれによる短歌同人誌。*1
 連作11本*2(ゲスト一人を含む)と一首評4本に加え、平岡直子による前号評が掲載されている。


エスカレーターから降り立つひとりひとりをよく見る 正解はひとつだけ
正しいことを言う人に質問をすると何時でも正しいことを言ってくれる
乾遥香「永遠考」


 一首目、「正解」とは常識的には待人のことで、自分にとっての正解なのだろうけれど、こう書かれると普遍的に「正解」であるただひとり(ひとつ)の人間がいるように見える。そして「正解」があるということは、それ以外はみな「不正解」であるわけで、恐ろしい。
 二首目、「何時でも正しいことを言」う人なんているわけない(と私は思う)し、トートロジーめいた書き方からしてもアイロニーがあると受け止めるのがオーソドックスな読みかと思うが、あるいは本気で言っているのでは、という不安を抱かされるのは、「言ってくれる」の字足らずによる気がする。もちろんアイロニーと本気は二分できるものではないし、割合の問題なのかもしれないが。
 連作としても好きでした。タイトルも格好良いし。


ゲーセンの前にふたりは落ちあつて雪降るしづけさから騒音へ
/岐阜亮司「過去について」


「騒音」という音声的な、それもごく短い描写だけで、外部と大きく異なるゲームセンターの空間を総体として喚起する手腕が見事。落ち合う場所の設定や、そこから歌のなかでの移動する距離・時間の小ささも好ましい。


知らない人の噂話を聞かされて毎ターン500のスリップダメージ
/篠田葉子「呼吸器疾患」


 上句の現世にありがちな場面に突如ターン制が導入される驚き。作意はもしかすると「スリップダメージ」のほうにあるのかもしれないけれど、仮にそちらの情報が先に提示されていたらあまり面白くなかったし、語順で成功している歌だと思う。毎ターン500ってどれくらいなのかな。そもそも人生というゲームでは最大HPはどれくらいが目安なのだろう。


遠いけどまぶしくはないものとして喫煙室の火の貸し借りを
/佐々木遥「途方のない人生」


 遠いものはたいていまぶしい、という裏にある認識の提示が眼目の歌と読んだ。「遠い」ものという印象を持ちつつ、しかし下句の状況を目視できる距離はそれなりに具体的にイメージでき、それは提示した認識に対して「ちょうどいい」距離だと思う。「遠い」と明記されているものに対して言うのも変だけれど。


友達の頼むメニューを決めてやる毎日同じ服の私が
友達が音読をするときの語気 飛べているのが謎のはばたき
/大村咲希「学生短歌会合同合宿二〇一九夏」


 一首目、謎の卑屈さに笑うけれど、そんな私にメニューを決められる友達まで卑下に巻き込まれているようでもある。
 二首目、「語気」=「はばたき」と読んだけれど、下句の喩にパワーがありすぎる。


 連作のほかに、テーマ詠:「黄」がある。
 「テーマ詠」というのも考えてみれば珍妙な言葉だけれど、短歌業界一般的には「詠み込みが義務でない題詠」という意味で使われていると思う。とはいえ禁止されていない限り(聞いたことがない)、普通? に詠み込まれることも多いだろうし、ここに掲載されている歌にもそういった例はあるけれど、そうでない歌がなんだかすごい。


ユーチューバーの解散を照らす月 海まで百十五キロ/大村咲希
ひよこっこっこ~きみもげんきでやっとくれわたしは変な歌を歌うよ/初谷むい
   詞書:ポムポムプリン
囚われの犬をあなたは見つめつつわたしの100円も使い切る/乾遥香


 ユーチューバーと「黄」にどういう関係があるのかとしばらく考え込んでしまったが、ひょっとして月=黄色、ということだろうか。
 いや確かに月もひよこも黄色いけどさ、そんなのありかよ、三首目なんてもう「黄」要素が詞書にしかないじゃん……と突っ込みたくなったが、考えてみれば詠み込み義務の題詠の場合は題を詠み込んでさえいれば何でもありで、むしろ題の第一印象からどれほどかけ離れたものにするかに血道を上げるようなひねくれ者すらいる(私とか)。だとすると、「テーマ詠」は「題詠」の単に縛りがゆるくなったものだと自分は思っている、と思っていたのは違ったのかもしれない。

*1:Twitterアカウントより

*2:連作を数える単位がわからない

杉山祐之『覇王と革命 中国軍閥史一九一五―二八』

覇王と革命:中国軍閥史一九一五‐二八

覇王と革命:中国軍閥史一九一五‐二八

 茂宸、何をやっているんだ。あなたは私の先生だ。私より年長だ。私は何もかもあなたに教わった。私はあなたの後輩だ。しかし、忘れたのか。今は事情が違う。私はあなたの上官であり、あなたは私の部下だ。今ここにはわれわれ二人しかいない。私はあなたに会うために来た。何も持っていない。だが、あなたの手には銃がある。あなたがこんなことをやりたかったら、軍を連れて行こうというなら、まず私を撃ち殺さなくてはならない。もし私を殺したくないなら、私はあなたの上官だ。あなたは動けない。私はあなたに命令することになる。あなたには二つの選択肢がある。私を殺すか、私の命令を聞くかだ。自分で選んでほしい。
 郭松齢は泣いた。こんなことを言ったようだ、私は恥ずかしい。私は山海関を突破できなかった。今は人にくっついて、人の手伝いをしている。つらい。あなたの顔にも泥を塗った。
 私は言った。そんなことを言わないで欲しい。私のどの顔をつぶしたというのだ。
 郭松齢はただ死を求めるのみと言う。私は、そんなことを言うなと言った。
 彼は泣く。なぜそんなに涙を流すのだ。
 もう人の手伝いなどしたくない。死を求めるのみだ。自分で死にたい。私は言った。ではいいだろう。もう死を決意しているというなら、それはいい。あなたは私の顔をつぶした、山海関を突破できなかった、もはや死を決意しているという。それなら戦場に行って死ぬことだ。そこで全力で戦えば、私の顔を立てるということにならないか。あなたもよい死を得るのではないか。死ぬのなら、戦場で死んだらどうだろう。
 彼はうなずいて、ハオ! と言った。

 中国の軍閥時代についての本。副題にある1915-28は、著者の説明を引けば「国家の統合が壊れた袁世凱統治期の末から、蒋介石が全中国を統一するまでの軍閥混戦の時代」であり、また「日本が中国に二十一か条の要求を突きつけた」年から奉天張作霖が爆殺された」年まででもある。学校の世界史に代表される日本で一般に紹介されている歴史では、この期間の中国は国共合作に北伐、そして上海クーデターといった、その後の国民党と共産党のための前史、というような扱いで、軍閥関係者で知られているのは袁世凱張作霖のほかはせいぜい段祺瑞、という程度だと思う*1。しかし本書を読む限り、同時代の政治・軍事に対して直接的な影響力を持っていたのは明らかに軍閥のほうであり、しかも相当に激動の時代だ。国民党が広東、広西を統一し大軍閥と戦える力を持つのはようやく1926年になってからであり、その間には軍閥間の大きな戦いが何度も起こっている。また「革命の父」こと孫文共産党にはかなり辛辣だし(孫文に対してはエクスキューズはあるが)、ボロクソに言われているイメージしかなかった陳炯明には好意的な記述が多い。
 そういった歴史が日本で知られていないのは、中国から輸出された革命史観に基づいているから、という著者の意見はもちろん正しいだろう。一方で、激動の時代だからそれが教科書的な概説史で重視されるかというと、中国だけを例としても三国時代五胡十六国五代十国……とむしろ真逆だ。通史的な歴史記述はもっぱら進歩史観を内包しており、激動の時代はそれゆえに社会制度の整備がない=前時代と変化が少ない、進歩がないとして軽視される、という面もある気がする。
 
 参照元の中国語文献はタイトルを見る限り人物伝・評伝に類するものが多そうで、実際にこの本もそういった有力者の行動を中心にした歴史記述となっている。属人的な、いわゆる英雄史観の類は、現代では冷たく見られがちだけれど、しかし読みものとして抜群に面白かった。二段組みで本文だけでも380頁近い大部だが、まったく飽きることなく一気に読めた。   
 豊富なエピソードを通じて、登場する軍人たちの人物像が魅力的に描かれている、将としての器や、部下としての見込んだ相手への忠誠心、勢力間や列強(もっぱら日本)との外交能力に、中国らしく諸葛亮にも喩えられる戦場での知謀、あるいは脱出する敗者を見逃したり、政敵への暗殺を忌避(例外はいる)したりといった彼らなりの倫理感(いわゆる「侠気」なのだろうか)……。学術論文的形式ではないながらも注は細かく付されているとはいえ、特に人物についての記述は元文献がどこまで信憑性のあるものなのかやや怪しい気もするが*2
 特に袁世凱と徐世昌、段祺瑞と徐樹錚、曹錕と呉佩孚、張学良と郭松齢あたりのエピソードには、利害関係だけではない絆*3が感じられるし、著者も力を入れて書いているように思われる。冒頭で引いたのは、張作霖の長男である張学良と、彼の士官学校時代の師であり、最も信頼された部下だった郭松齢の、おそらく軍閥間での最大の戦いである第二次直隷・奉天戦争中の会話。のちに郭が張作霖に反旗を翻し、敗れて処刑される際、郭が遺書を宛てたのは学良に対してであり、学良は(明らかに無理なのに)郭をなんとか助命しようとしていたという。この部分は晩年の張学良による口述の引用であり、つまりブログに引くのは孫引きにあたり、本来よろしくないのだけれど、しかしこの場面を本書中もっとも印象的なものと感じる人は多いのではないだろうか。これこそ本当に二人しかいない場面だろうし(副官/護衛なんかがいたら茶番にすぎる)、張学良の言うことが歴史的事実である根拠なんて一切ないけれど、89歳の張学良が語ることを欲望したのがこの話である、と考えるとそれ自体エモーショナルに思える。
 とはいえ個人的な嗜好としては、大多数の権力を持たない人間たち個々についてはその生死さえ顧慮しない立場にある人間同士の個人的な関係について萌える気にはあまりならない。彼らを人格的にどう評価するかというよりも、権力者たりえない私のポジショントークだが。


 著者のブログも面白い。電子版では改訂が入っているそうなので、今から読む人はそちらのほうが良いかもしれない(「張作霖の盟友」呉俊陞という記述に、他の箇所を見る限りそこまでの関係なのか……? と思っていたが、電子版では削除されたらしい)。

*1:予備校時代の教材を引っ張りだしてきたところ、講師オリジナルのテキストには3人に加え馮国璋・曹錕・呉佩孚の名前が記されていた。ほとんど世界史と国語で大学に入ったようなものの私だがさっぱり記憶にない

*2:ごく限られた人間しかいないはずの場での様子が書かれすぎていて(「誰々は声をあげて泣いた」みたいな)、事実なら情報管理が甘すぎるだろう、と思う

*3:という表現は嫌いで、それはまさにこういうことに使われがちだからなのだが

岐阜亮司「短歌は青松輝を飽きさせてはならない」をめぐって

note.mu


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「ブログに還れ」を提唱する*1私は、他者が自分の語りたいものについてまとまったかたちで語ってほしいと思っているので、こういう記事が読めると嬉しくなる。
 本来はまず元の評論についてちゃんと言及すべきなのだろうけれど、ここでは元評論へのTwitterでの反応に対して書かれた(と思われる)補足に興味深いトピックがいくつかあったので、こちらを中心に書くことをお許しいただきたい。

実績と評価・報酬

 「実績」や「評価・報酬」が何を指しているのか最初わかりづらかったけれど、後の文脈から考えると、実績=優れた成果(ここでは短歌作品・評論)、評価・報酬=その成果に対する反応・言及、ということだろうか。「『短歌をやめないでほしい』と伝えてしまうことの暴力性」を自覚した上で、それでも「これからも面白い文章・作品を読みたい」からやめないでほしい、と欲望してしまう作者に出会うことで葛藤が起こるのはとてもよくわかるし、その結果として元評論のような文章が書かれるというのも納得がいく。「勝手に『短歌』を共犯者にしてしまった」という点は、私としては特段問題があるとは思わなかった。そもそも青松さんが短歌をやめたら「短歌にとって思ったよりも凄い損失になってしまう」と本気で思っているからああいう文章を書いたのでしょう? 「短歌」を共犯者にすることと、「短歌」のために罪を犯すことは違うし、この評論をどちらかに分類するなら後者だと思う。


 「評価」→「報酬」という比喩には直感的に反感を抱いた。その理由を言語化するなら、評価を量的なものとして捉えている感触や、あるいは自分が報酬だと思える評価(反応・言及)しか評価と認めないのでは? という疑念を抱いたから、というあたりか。一方で、冒頭で述べたように私はブログやnoteで書かれる短歌についてのまとまった文章が好きで、そういったものを読んだらなるべく反応するように心がけている*2。そこには書いてくれたことへの感謝と、次も書いてもらうためのモチベーションになればという下心があるが、そういった意識の総合として「報酬」を与えている*3、という喩はしっくりきた。
 また、これは引用する水沼朔太郎さんのツイートで言われていることのほぼ焼き直しだけれど、岐阜さんの論はある読者が作者に対する評価を、している/していないの二元論的に捉えすぎなのではないか? と思う。



 自分のやめてほしくない人間はもしかしたらやめてしまうかもしれない、という恐れがあり、かつそれを防ぐために他者の評価が役に立つ可能性が少しでもあると思うとき、もっと評価=反応・言及が増えることを望む、そのために隗より始める、というのは誠実なやり方だと思う。
 しかし「(筆者註:青松を)評価している人間が潜在的にはいる」という前提に立っても、それこそ岐阜さんのようにすごく評価している読者もいれば、ある程度評価している、面白いと思っているが、仮に青松さんが短歌をやめてしまってもどうしようもなく悲しくはないし短歌(界)にとって決定的な損失だとも思わない読者もいるだろう。そしてたぶんほとんどの読者にとっては、前者のカテゴリーに入る作者よりも後者に入るそれのほうがずっと多い。ある作者が「ある程度評価している」多くの作者のうちの一人でしかない読者に、他人が評価の表明、報酬を与えることを求めるのはまあ無理筋だし、それをしないのは怠慢だ、そのせいであの人が短歌をやめてしまうかもしれない、などと言われても、それならやめてもらって結構、嫌な言い方をすれば、報酬を与えられなければやめてしまうようなやつはやめちまえ、と返されるだけなのではないか。岐阜さん自身が言う「短歌をやめたいひとはやめた方がいい」というのはまったく正論なのだから。


 個人的には「若手」=歌歴のあまり長くない人に対する、特に作家論的な評価には抵抗を感じる部分もある。まだ自分のスタイルを確立していない作者が、ともすればその評価を内面化してしまい、結果として可能性を狭めてしまうことを恐れるからだ。どれほど自覚的にかはさておき、評価されたように書こうとする、自己模倣に陥る、など。それは作者を馬鹿にしすぎている、というのはもっともだ。しかし一方で「若手」はまさに「報酬」を与えられることが少ないので、数少ないそれを必要以上にありがたがってしまう、ということは有り得ないとは言えないのではないかと思う。少なくとも私にはその経験がある。



 昔ツイートしてた。


権力について

 一般論として、事実権力関係が存在する状況で*4、「すべては平等である(べき)」という論を強調することは、結果として権力関係の隠蔽、保全につながる。そして例示をそのまま引けば、「次席」と「歌集」を持つものが、その両者とも持たない人よりも相対的に強い権力を有する場合は、そうでない場合よりも多いだろう。一方で、歌壇*5全体のなかでの権力、立ち位置がどれほどか、というのはまた別の問題でもある。
 これはややもすればより権力のある人間によるマンスプレイニング的*6行為、卑俗な言い方をすれば「老害」的振舞いと取られるかもしれないけれど、学生短歌会の現役世代の人と話していると、すぐ上の世代(24-30歳くらい?)の、特に学生短歌会出身の歌人の権力・影響力・認知度を過大評価しすぎでは? と思うことがある。新しく登場した・しつつある歌人について、おそらくは歌壇の大方よりも敏感だと思われるあなた(たち)は、昨年の新人賞や第一歌集をいくつ覚えていますか? 新人賞や歌集という極めて分かりやすい「実績」を挙げた後に注目される作者は、結局のところその前から注目されていた人だけである、という世知辛い状況があると思っているので、賞や歌集を「『歌壇』に発掘されている」ことの根拠にするのは、やや雑な物言いかなと感じた。
 ついでに評価・報酬に絡めた話をすると、私がこの3年以内に発表した短歌作品・評論のうち、Twitter上で片手の指を超える言及を観測できた*7のは、『歴史について』(それも機関誌への初出時とブログ公開時を合わせて)だけだった。賞や歌集の実績があるわけでもない私は文脈から外れるけれど(別に皮肉ではない)、まあもしかしたら多少は有名に見えるかもしれない私でも、得ている「報酬」はこの程度ですよ、という例として。自分に対する評価なんてものは公開されないのが普通だと思っておいたほうがいい、なんていうふうに態度にまで口を出すと、ますます鬱陶しい先輩になってしまいますが。

青松輝の作品について

短歌、これくらいでいいですか?こっちも忙しいんで……
おりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃって生きてたらはちゃめちゃに光ってる夏の海
青松輝「フィクサー」『第三滑走路』7号


元評論の冒頭に引かれているこの歌について以下のツイートをして、青松さんからリプライをいただいた。


 この歌を読んで、まさに「ツッコミ待ちの歌」だと思い、それならキツいポーズの言葉でツッコんでもいいだろう、と最初のツイートをした。
 その上で言えば、私はツッコミ待ち、おふざけとしても面白いと思わず、イラっときた、というのは正直なところある。詞書は字義通りに受け取ればやっぱりナメているし、歌と合わせて読んでも、ナメてるというポーズ=ツッコミ待ちの作り方としてもいい加減すぎる、ナメていると思った。この歌が連作にあるという情報や、「ネットプリントで短歌を書いてるくせに」という作意を知っても、今のところその評価は変わらない。良くない歌にしかつけられない、何かの間違いで良い歌についていたとしてもそれを良くないものとして読ませる詞書に何の価値があるのだろうかと思う。
 一方で、歌壇における権力を一旦置いておいても、学生短歌界隈の現役学生とOBという点を考えると*8、青松さんの作品に対する私の発言が抑圧的な力を持つ可能性はある。批判的な意見を述べるのであれば、感情に任せた雑なかたちですべきではなかったと反省している。


 青松さんの作品はあまり読んだことがないし、今のところ強い印象は持っていない。批評家、「ブログに還れ」を実践している一人としての青松さんに対しては、「短歌(界)にとって決定的な損失」だとまでは思わないにしても、言及する=報酬を与えたくなるレベルのものを書く人だと思っている。

vetechu.hatenablog.com


 奇しくも私が「やめないでほしい」と願う歌人の一人である佐久間慧を中心とした評論。特に最近の佐クマ*9についての評は、簡潔ながらもとても鋭いと思う。
 論の本筋とは少しずれるけれど、私に一番刺さったのは以下の部分。

で、佐久間慧は確実に永井祐の一歩先を行けてるな、と感じて、そこが「なんたる星」のはだしさんと並んで二人を僕がすごく推している要因になってる。自分としても、作るとき、読むときにつねに永井祐の影をいろんなところに発見してしまうからこそ、永井祐以降、までいけてると感動しちゃうというか。

 
 「永井祐の影をいろんなところに発見してしまう」人は割といるのではないかと思う。しかしそのことが評論として、しかも「永井祐の一歩先を行けてる」歌について論じるもののなかで語られたのは、パンドラの箱を開けられた感がすごかった。
 いまブログを読み返したら、最新記事に「8月中に短歌関係の記事も上げようと思ってる」と書いてあったので期待しています。
 作品についても言及しようと思って「第三滑走路」の8号を刷ってきたけれど、それはまた後日。

*1:この記事はnoteだけれど、要はTwitterよりも主張を展開するのに向いていて、かつ検索にヒットする媒体ならなんでもよい

*2:実際どれほどできているかは課題だが

*3:率直に言えばこの文章についてもそうなれば、という思いはある。こんなもん押し付けられても困るわ、と言われそうだが

*4:人間社会において権力関係が存在しない状況が果たしてあるだろうか?

*5:という語があまり好きではないので最近は「短歌業界」という表現を多く使っている

*6:マンスプレイニング - Wikipedia マンスプレイニング - Wikipedia 、これ自体造語なのだから筋の悪い持ち出し方だが

*7:いま検索したので、消えたり非公開になったりしているツイートもあるかもしれない。私の検索術は信頼してほしい

*8:青松さんと私は同時期に在籍していたわけではないし、個人的な接点はないが

*9:名義が変わっている

めるかり、と喚んだでしょ? だから来てあげた/2019年8月以前の川柳

この薬が効けば鹿鳴館になる


負けたって思ったさきの峠道


ジョニデとはジョニーデップのことだろう


生ハムメロン販売員と過ごした夏


かわいくて才能のある密造酒


めるかり、と喚んだでしょ? だから来てあげた


負け方が悪いね芋煮会しよう


急行に乗った時点であきらめた


衛生面に定評のある牛丼屋


天皇もジョニーデップも食べた味


アカウントいくつ持ってるんだそこに座れ


人生を最悪にする焼き豆腐


長いトンネルを抜けると皇居だった


レイトショーまでに終わらせてあげるよ


逃げ水の逃げる気持ちもわかるけど



 作品をつくることよりもつくった作品を評価することのほうがはるかに難しい、というのは過去に短歌で経験したことで、そのときは最低限自分なりの評価基準が定まるまでに二年近くかかったから、川柳を真面目にやってみようと思い立って一週間ではそんなものはあるはずもない。評価基準が定まる前に発表した短歌のほとんどはいまの私にとっては見るに堪えないものだから、この川柳たちもおそらくはそうなるだろう。しかし短歌とははっきり別物としてやる以上、発表/創作のスタイルも短歌とは別にしたいので、当面はこうやって作った句を月ごとに公開していく方針でやってみたい。

2019年8月25日の日記

 アルバイト先を出てJRの最寄り駅まで歩く。駅の近くのラーメン屋で朝食。往々にして特別美味しいわけでもないくせに横浜に比べて高いので東京で家系を食べることはほぼないけれど、ここの店は朝ならサービス料金の500円で、味も悪くないから気に入っている。
 お金を使わず時間をつぶす方法はいろいろあるけれど、屋外で過ごすものはこの時期なるべく避けたくて、かつそれなりに長い時間をつぶしたい、となると最有力手段のひとつは大回り乗車だと思う。ついでに乗りつぶしができればなおいい。品川で横須賀線総武快速線に乗り換えると、ここから錦糸町まで*1は(少なくとも物心がついてからは)未乗区間だ。こんなに近くに乗ったことのない区間があったことも不思議。新橋駅の手前で列車が地下に入っていくと、いつもと違う展開にささやかな高揚感を覚える。緩行線に乗り継ぎ、西船橋武蔵野線に乗り換え。南浦和までが2つ目の未乗区間。緑を基調に家々が散りばめられた郊外にありがちな車窓は、とても楽しく感じられることもあれば、ひどくつまらないときもある。南浦和京浜東北線に乗り換えて南下。


 鶯谷で下車し、「ひだまりの泉 萩の湯」へ。この銭湯の噂は前々から聞いていたけれど、先日秋葉原での駒形友梨さんのリリースイベントの後に訪れた*2系列? の寿湯(上野)が良かったので、いよいよ行ってみる気になった。ビルの1階から4階までが銭湯、という説明から無限に広大な空間をイメージしていたが、そこまでではなく、湯船の種類はむしろ寿湯のほうが多いくらい。よく考えたら何フロアあろうと男湯/女湯はそれぞれ1フロアが限度だろうし、別にビルが巨大だなどとは一言も言っていないのだから当たり前なのだけれど。それでも十分に広々とした空間で、種類が多くない分一つ一つの浴槽が大きく作られている。サウナと水風呂がすぐ隣にあるのも入りやすく、噂に違わぬ良い銭湯だと思った。
 銭湯に入っている間に私に起きた変化が2つあり、1つはサウナで流れていたテレビで「水卜麻美」さんというアナウンサーの名前の読みが「みうらあさみ」だという知識を得たこと。ずっと「みとまみ」だと思っていた……。言われてみれば確かに「うら」と読めるし、カタカナだと思うよりそちらのほうがよほど自然だが。もう1つは川柳を真面目にやってみる気になったことだが、それを思い立ったのは「下町のしっとりとしたカレーパン」と書かれたポスターを見ているとき。5・7・5だからといってそれを川柳だと思っているわけではないし、自分の脳の動きがよく分からない。
 サウナと水風呂を行き来したり、ぬるめの炭酸風呂にだらだらと浸かっていたり、なんだかんだで3時間近く過ごしてしまった。自宅の風呂で異常な長風呂をする習性は抜けたけれど、外の温浴施設に来るとやっぱり長居してしまう。


 ようやく萩の湯を出て、徒歩で北上。地元の祭りの行列と行き当たるなどしながら、本日の歌会の会場、屋上にたどり着く。今年初めての歌会は2週間と少し前だったのに、気づけばもう4回目だ。しかしこれまでの3回はいずれも身内*3とばかりだったのに対して、今日は司会の山階基さん以外は初対面だった。多少はよそいきでやらなきゃな、という歌会は2年ぶりくらい。
 歌会は楽しかった。私の歌には1票も入らなかったけれど。0票だと昔はけっこう気にしていた記憶があるけれど、いつからそうでなくなったのだろう。山階基『風にあたる』も著者から買えたし。空間の雰囲気も好ましくて、また訪れたい。
 

 電車のなかで山階さんと歌集や連作の話をしていると、こういう話をするのも久々だよね、昔はいつもしていたのに、と言われる。2人とも学生でなくなってからもなんだかんだ会う機会はあるけれど、考えてみれば短歌そのものの話はした記憶は確かにない。もっと短歌そのものの話をしていきたい。
 山階さんは私にとっては(タメ口で話しまくっているとはいえ)やっぱり先輩なのだけれど、歌歴は2年、実年齢で言えば1つしか変わらないわけで、ひょっとすると自分が歌集というものを出すこともあるのだろうか、などと考えないこともない。まあ当面はそれどころではないし、渋谷のゆうゆう窓口から出した奨学金の返還猶予届も、もろもろの理由のうちの一つを明らかにしているけれど。家に向かう電車で赤羽尭『復讐、そして栄光』を読了。

*1:東京―品川間は系統上は東海道線と同じだが

*2:自宅と方向が真逆である

*3:早稲田短歌会にお邪魔したときはさすがにもう知らない人も多かったが、まあ元会員でもあるし部外者という気はしない

ロシア・プレミアリーグ2015-16シーズン第20節 ゼニト・サンクトペテルブルク vs ルビン・カザン

 夢に出てきた2人の非実在オタクが「黒木ほの香と前川涼子の“まだまだこれからなんです!”*1の素晴らしさを語り合っていたと思ったら、突如3年以上前にロシアで観たサッカーの観戦記を書けと脅してきて本当に怖かったので書く。日本語で書かれるスタディオン・ペトロフスキーの観戦記はたぶんこれが最後だろうし、声優ラジオの話題(なのかすら怪しい)から始まるものは空前絶後だと思う。

試合まで


 ロシアに一か月ほど短期留学することになって、初の日本国外でのサッカー観戦をすることに決めた。留学先がサンクトペテルブルクであることを考えれば、観る試合は同地で唯一のプレミア所属クラブ、ゼニトのホームゲームになるだろう*2。代理店などを通せば日本からチケットを買う手段もあることにはあるようだったが、手数料がかかるのも馬鹿らしいので行けばなんとかなるだろ精神で旅立つ。現地に着いてから留学中にUCL(ラウンド16、vsベンフィカ)もあることに気付いたが、既にチケットは完売していた。さすがはCLといったところか。
 改めてウィンターブレイク明けのホーム初戦、3月13日のルビン・カザン戦に狙いを定める。ルビン・カザンは2000年代後半にはプレミア連覇の経験もあり、UCLでも悪名高い? 6バックでバルセロナを苦しめたことで名を馳せたそうだが、この頃は既に国内でも中堅程度の立ち位置になっていて、まあ勝ち試合を観られるんじゃないかという下衆な期待もあった。


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 ゼニトのオフィシャルショップ「ゼニト・アリーナ*3」はサンクトペテルブルクのメインストリート、私が勝手にペテルの四条通と呼んでいたネフスキー通りに面している。カザン聖堂や、私が今まで見た建築のうち最も美しいと思った血の上の救世主教会にもほど近い店は、新しくてきれいだった。グッズのラインナップはJリーグと大きくは変わらない。違いはJリーグでは定番のタオルマフラーがない一方、ニットマフラーやジャケットなど防寒具の類が充実していたこと。マフラーには過去のUCLなどのビッグマッチに際して作られたと思われる、対戦する両クラブの要素が半々に入ったものも多かったが、大幅に値下げされているわけでもないそれをいまさら買う人が果たしているのかは不明。


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 店内にはクラブの栄光の歴史を讃えるゾーンもあり、なかでも一番誇らしいものは2007-08シーズンのUEFAカップ優勝のようだった。


 ゼニト・アリーナは時間がある日は毎日のように通っていたエルミタージュ美術館(国際学生証を見せると無料で入れる)から宿までの道のりにあったので何度となく立ち寄っていたが、ネイティブの幼稚園児レベルのロシア語力で電子機器を操作してチケットを発券するのに怖気づき、なかなか踏み切れなかった。機械はこちらの意図を推測してはくれないし、ボディランゲージも通じないから。かといって目の前に専用の機械があるものを人間から買うのもどうにも気が引ける。試合が迫ってきたのでようやく腹を括って買おうとしたが、紙幣が呑み込まれたまま戻ってこないというまさかの事態に。店員を呼ぶとどうも偽札が交じっていたらしく、街中の適当な両替所を使ったのが悪かったのだろうか。ともあれ呑まれた額は大したものではなかったし、試合のない日にスタジアム脇のクラブ事務所に行けば返してくれるとのことだった。

当日


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 スタディオン・ペトロフスキーはメトロのスポルチーヴナヤ駅(そのまま「スポーツの」という意味)を出て少し歩いたところにあり、近づくとそれを環状に取り囲む警備員に行く手を阻まれる。セキュリティチェックを終え、環を抜けて進んでいくと一回り小さい環があり、またセキュリティチェック。チケットを切るときも、スタンドへのゲートでもセキュリティチェック。いちいちホールドアップさせられ全身を触られ、荷物の中身を全てぶちまけられる横を、おざなりなチェックで解放されるロシア人たち(男性ばかりだ)が追い越していく。人種差別だろ、と思うが、中国系と思しき男女が私よりは明らかに軽いチェックで通されていたのを見ると、表面が傷だらけでところどころ羽毛がはみ出しているダウンジャケットに、穴が開いている(のは一目では分からないと思うが、ボロボロなのは明らか)ボトムスという格好も悪かったのかもしれない。まあ単に若い一人者という属性が警戒されていたのかもしれないが。


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 コンコースは建築物の中にはなく、外周の屋外からゲートを通ってそのまま入るスタイル(三ッ沢みたいな感じ)だったと記憶している。プレハブのようなトイレにも風が吹き込んでくる。収容人員は20985人。一層式のスタンドは、観やすいわけではないが日産ほどピッチから遠いわけでもない。なんというか、実に「旧共産圏の陸上競技場」という感じ。


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 ゼニトのウルトラス。向かって左下の見切れている横断幕は「НАШЕ ИМЯ ЗЕНИТ」で、スローガンの類として扱われているよう。「俺たちの名はゼニト」くらいの訳でよいだろうか。反対側のゴール裏もほとんどはゼニトサポーターで、大仰なフェンスに囲まれたゾーンにいるはずのルビン・カザンサポーターは探すのに難儀するほど少なかった。日曜のナイトマッチで、サンクトペテルブルクからカザンは直線距離で1200km以上(日本だと仙台―鹿児島よりも少し遠いくらい)離れているのだから無理もない。
 バック/メインスタンドはそれなりには埋まっていたが、しかし席を探すのに苦労するほどではない。リーグ公式の試合記録だと観客は16797人となっているけれど、収容人員の約80%が埋まっていたとは写真を観ても当時の体感からしてもちょっと信じられない……。いずれにせよ、ロシア有数のビッグクラブのホームゲームとしてはやや寂しい印象を受けた。


 日本ではありえないほど早めに座席に着いたが、それが仇になったかキックオフ前に身体の異常に気付く。震えが止まらない理由は容易に推測出来て、単純に寒すぎるのだ。上の写真がいかにも適当に撮られているのも多分そのせい。
 サンクトペテルブルクは緯度こそ高いものの、決して極寒というわけでもない。冬季の平均気温は旭川よりも高いくらいで、昼間はあちこちを散歩して回っていた。しかし夜に風を遮るものもない場所で動かずにいる、というシチュエーションでの体感温度は段違いに低く、どんどんと体力を奪われていたらしい。
 このままでは凍死しかねない、というのは大袈裟にしてもそれくらいの苦痛のなかで、旧国立競技場では自動販売機のカップラーメンが暖房と言われていた、というジョークを思い出し、なにか温かい食べ物で暖を取ることにする。コンコースには特別凝ってはいない、まあいかにもスタジアムにで売っていそうな食事がそれなりに売られていた。一番安くて暖房になりそうなオニオンスープを買ってスタンドに戻ろうとすると、またホールドアップを要求される。オニオンスープを自分の頭にぶちまけるのは勘弁したいのでホールドアップする間これを持っていてくれと頼むと、苦笑いしながらそのまま通してくれる。ありがたいのだがセキュリティ的にはそれでいいのか。


 ゼニトのスタメンはロディギン、スモルニコフ、ロンバーツ、ネト、ジルコフ、ダニー、シャトフ、マウリシオ、ヴィツェル、ジューバ、フッキ。ロディギン、スモルニコフ、シャトフ、ジューバはロシア、ダニーはポルトガルヴィツェルはベルギーの現役代表だった。ベンチにもロシア代表のユスポフ、ココリンに元イタリア代表のクリシート、スペイン代表歴のあるハビ・ガルシアという実に豪華な面子。とはいえこのメンバーも上記の公式記録を見て書いているし、当時の私はその豪華さを十分に分かっていたとは言えないが。とりあえずフッキが出ていることに満足し、ロシア代表組で唯一認識していたココリンがベンチなことが残念というくらい。
 肝心の試合の内容については正直あまり覚えていない。かなりゼニトが押し込み、攻撃陣の良いところが目立つ展開のなか、ダニーとジューバの2人を気に入ったことをぼんやりと記憶している。この時点でゼニトで8シーズン目だったキャプテンのダニーはいかにもポルトガル人の10番、というテクニシャンで、華のあるプレーをしていた。クラブショップにもフッキと同等かそれ以上にグッズが売られていてサポーターからの人気の高さが窺えた。大型FWのジューバはおそらく私がいままで現地で観たサッカー選手のなかで一番フィジカルが強い。この手のタイプは必ずしも好みというわけではないけれど、現地観戦だとその肉体の発散するエネルギーには抗いがたい魅力がある。
 試合はダニーが2ゴール、ジューバとフッキがそれぞれ1ゴールを挙げ4-2で勝利。



Highlights | Zenit Saint Petersburg 4-2 Rubin Kazan


 Youtubeにゴールシーンのハイライトがあった。というかルビンのゴールが2点ともけっこう凄い。
 試合後のスポルチーヴナヤ駅は入場規制がされていて、隣の駅まで歩いた。

その後


 後日、スタジアム横にある事務所に発券機に呑まれた金を返してもらいに行く。ごく普通のオフィスの入り口で店員が裏書してくれたレシートを見せると、すぐに剥き出しの紙幣を持った職員が出てくる。この間の試合を観た、ゼニトが勝って嬉しい、というようなことを拙いロシア語で伝え、少々会話をした。
 帰国直前、エルミタージュのすべて*4をなんとか観終えた帰り道で最後のゼニト・アリーナ訪問。自分用に例の「НАШЕ ИМЯ ЗЕНИТ」が入ったニットマフラーを買う。できればゼニト要素オンリーの(=上述のビッグマッチ記念系以外)、キリル文字が入っているものが欲しい、という条件では選択肢は少なかった。ここはロシアなのにラテン文字・英語のものばかりなのは意味が分からない、と当時は思ったが、今考えると日本ならばラテン文字でないマフラーなんて一つもないクラブも珍しくなさそうだし、そんなに理解不能な話でもない。
 土産は友人のために使い捨てライター、フッキの肉体が好きだと言っていた(しかしそれ以外にサッカーの話をしているのは聞いたことがない)先輩に上半身裸のフッキのポストカードを買った。そういえば使い捨てライターもJリーグのグッズではお目にかからない。


 あれから3年半が経った。件のニットマフラーは愛用しているし、海外の*5好きなクラブを訊ねられたらゼニトと答えてきた。昨年のワールドカップでロシアに肩入れしたのも、ジューバを筆頭にゼニトに縁のある選手の存在が大きい。けれどもあれ以来ゼニトの試合をちゃんと観たことは一度もないし、日常的に情報をフォローしているともとても言えない。
 ゼニトのほうも2017-18シーズンからはついに完成した新スタジアム、ガスプロム・アリーナに移って、すっかり様変わりしたようだ。



Highlights Zenit vs CSKA (3-1)


 収容人員62315人の大半が埋まっているスタジアムの雰囲気は、相手がCSKAだということを差し引いても、あの夜のスタディオン・ペトロフスキーとはかけ離れている。観客の40%が女性になったという記事を観たときは俄かには信じがたかったが、このスタジアムならばまったく有り得なくはないかもしれない。
 そもそもガスプロム・アリーナは本来なら私が行った時点でとっくに完成していたはずで、ロシアらしい計画のいい加減さ*6を当時は恨んでいた。しかし今こうして思い返してみると、あの典型的な「旧共産圏の陸上競技場」で観戦できたことをは、やはり得難い経験だった気がする。最新鋭のサッカー専用スタジアムは今後も日本を含めた世界中にできるだろうけれど、ああいった競技場は減っていくばかりだろうから。


 ダニーはあの試合の翌月に負った前十字靭帯断裂でEURO2016出場を逃し、その後のキャリアも下り坂に。現在は無所属で半引退状態らしい。ジューバはゼニトと代表のエースとして活躍しているが、一度監督のマンチーニに干されてレンタルされたとき、ゼニト戦に自ら違約金を払って出場して同点ゴールを決めたというエピソードがいかにも彼のイメージに合っていて笑ってしまう。一方直前の怪我で地元でのワールドカップ出場を逃したココリン(代わりに入ったのがジューバ)は暴行事件で投獄されているという無常。フッキはご存知の通り上海上港に移籍して、ACLJリーグ勢に立ちはだかっている。

*1:私は一度も聴いたことがないし、出演者についても『アイドルマスター シャイニーカラーズ』で双子の役をやっているらしいということくらいしか知らない。ちなみに向かって左側のオタクは「2人が恋人同士という設定が最高」などと言っていたが、そんな設定はないと思う

*2:サンクトペテルブルクのゼニト以外のクラブは移転や解散を繰り返していて、2部以上の全国リーグにいるのはゼニトのみ、ということが多い。モスクワ勢はプレミア常連だけでも4クラブもあるのとは対照的だ

*3:後述のガスプロム・アリーナが開業して以来、ロシア語で「ゼニト・アリーナ」と検索してもそちらばかりがヒットしてしまう。改名したほうが良いのではないだろうか

*4:閉鎖中やツアーでしか入れない箇所を除く

*5:多くのサッカーファンが「海外」と言ったとき暗黙のうちに指しているヨーロッパにロシアが入るかは永遠の問題だが、少なくともサッカーにおいてはUEFA所属なのだから文句を言われることはないだろう

*6:どこぞの国の国立競技場に関するグダグダっぷりを考えれば、他所のことを言える筋合いはないが